私のおでこ

こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
2年前のある朝、実家の父から電話がかかってきました。
「病院の先生から、ばあちゃんに会わせておきたい人がいるなら、そろそろだと言われたんだ」と。
このところ、父が頻繁に祖母のいる病院へ通っていたので、ずっと気になっていたのです。ただ、そこまで様態が悪いとは思ってもいませんでした。

「わかった。すぐにでも会いに行きたい! 仕事は午後からお休みして、息子も小学校を早退させるから、今日、会いに行くよ! 」
すると父は、
「じゃあ、俺と母さんもお前たちと一緒に行くよ。ただ、お前がショックを受ける前に言っておく。ばあちゃんは、光を感じられるくらいの視力しか残っていない。ずっと寝たきりだったから、もしかすると、お前のこと、もうわからないかもしれないよ」と。

病院に着いたのは17時ごろ。
照明がついた部屋に、祖母は寝ていました。
父が、
「ばあちゃん、会いに来たよ」と声をかけると、
「ああ、ノリヒロちゃんかい。夜は部屋が暗くて、何も見えないんだよ」と、祖母は両手で父を探します。
父はベッド脇のスダンドの照明をつけると、祖母の手を握り
「ばあちゃん、今日はみんなを連れて来たよ」と言いました。

「おばあちゃん、智子だよ。ずっと会いに行けなくて……」と、そこまで言うと、言葉に詰まってしまいました。
結婚をして子供を授かってから、数回しか会いに行かなかった。そんな罪悪感で、心がいっぱいでした。そして、この場に来て謝ることしかできない自分がとても嫌でした。今日みたいに行こうと思えば行けたのではないだろうか?と、自分を責める気持ちだったのです。
「ずっと会いに行かなくてごめんね」と、言い直した私。

すると、
「ああ……、その声は智ちゃんかい? そうだ、そうだ。その優しい声は智ちゃんだ」と、祖母は私を探しはじめました。
こんな私の声を優しいと言った祖母の言葉に戸惑いながら、
「ここだよ」と、さらに近くで顔をのぞきこむと
「ああ! 見えるよ。おでこが見える。この白いおでこは、智ちゃんのおでこだね。来てくれた。ありがとう。ありがとう」と、祖母は嬉しそう。

祖母の突拍子もない言葉に、父をはじめ皆が大笑いしました。
子供のころから、よくからかわれた“おでこ”。
コンプレックスでしかなかったはずなのに、この“おでこ”のおかげで祖母が私をわかってくれたのです。
“この、おでこで良かった”
とっても幸せな気持ちで満たされ、罪悪感がいっきに消えてしまいました。

ここで、『道経一体経営セミナー用テキスト 徳づくりの経営』第5章 「現代の中小企業」から一節をご紹介します。
――廣池千九郎は「自ら運命の責めを負うて感謝す」という格言を残しました。ここで言う責めとは責任のことです。運命とは自分と自分を取り巻くすべてのことであり、たとえば個性、特徴、長所、短所、好都合なこと、不都合なこと、さらに立地、規模、過去なども含まれるでしょう。これらをみな「自己の責任」と考え、肯定的に受け止めて、感謝しつつ活用するのです。これらを否定したり、あきらめたり、無視してはいけません。欠点や短所さえもが自分や自社を特徴づけているのです。その点で、この生き方は、自分らしさや本分、天分を生かしきることにつながります。個性化、差異化はこの意味で道徳と結びつくのです――

このおでこは、私の特徴。
もう、コンプレックスに思う必要もないかもしれません。
ありがとう。おばあちゃん。

 

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