出産時のエピソード

こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
先日、息子の通う中学校から、次のようなお手紙が配られました。
『道徳の授業で使いたいので、出産時のエピソードを書いてください。たいへんだったこと、感動したこと、なんでもかまいません』と。

“さて、何を書こうか……”
考えながらソファーで横になった私に、息子はどこからともなくブランケットを持ってきて、「お腹が痛くならないように」と、そっとかけてくれました。


12年前のことです。
初めてのお産。その予定日が近づくにつれ、陣痛の恐怖が大きくなっていた私。
しかし、予定日を1週間過ぎても陣痛らしいお腹の痛みがありません。
産院に入院し、陣痛を促すための処置をしました。軽い陣痛が定間隔で来るようになり、それだけでもかなり辛いのですが、なぜか本番の陣痛につながらないのです。

「お母さん、これ以上お腹に赤ちゃんを入れておいても弱っていく一方です。明日の朝までに本番が来ないようだったら、自然分娩はあきらめて帝王切開にしましょう」と、先生。
こうして予定日から12日目の朝、息子は誕生しました。しかし、取り上げてくださった先生方は、なにやら焦っています。そして、あっという間に、息子は救急車でNICU(新生児集中治療室)がある病院へと運ばれてしまったのです。
「緊急のことで、お母さんへの説明が後になってしまいました。実は、産声が変だと思っていたところ、汚れた羊水を少し吐き出したのです」と、先生。
「汚れていたとは? 」
「通常は出産後に胎便が出ますが、お腹に長く居過ぎたのかな……。羊水がかなり汚れていました。きれいに処置をしましたが、もし、肺にまで入っていたら肺炎を起こす恐れもあります。そのため、大きな病院へ入院させることにしました。今、赤ちゃんはお父さんと救急車で都内の病院へ向かっています。とても信頼できる病院です。私の教え子だった優しい先生が、息子さんを病院の玄関で今か今かと待っています。お母さん、大丈夫ですよ」と、先生。

出産して5日後、いまだ産院に入院していた私のもとに、息子が帰ってきました。
夫が、
「入院予定は7日間と言われていたのに、こんなにも早く、しかも元気に退院できたことが嬉しくて、NICUの先生にお礼を言ったんだ。そうしたら『取り上げてくださった先生方の応急処置が、とても素晴らしかった』って、そうおっしゃっていたよ」と。
初めて息子を抱きながら、
“こうした先生方との出会いと時代の技術によって、私と息子の命は救われたんだ。運がよかったんだな……”と、とても有り難く思いました。


あれから12年。
出産予定日を大幅に過ぎて生まれてきた息子のことを“マイペースな子”と、そんなふうに思っていました。
でも、こうしてブランケットをそっと私にかけてくれる優しい息子を見ていて、ようやく気がつきました。

“あのとき、なぜ息子はお腹からずっと出て来なかったのか……。
それは、私が怖がっていたから。
そんな母の恐怖をキャッチして、自分はお腹から出ていいものか、ずっと戸惑っていたに違いありません。そして、痛くて苦しいのは母だけではありません。次第に息子も、怖くなったのではないかしら”と。
息子の優しさと繊細さを感じながら、私は母として大反省です……。
 

ここで、『ニューモラル 心を育てる言葉366日』9月3日「誕生の日は母苦難の日」から一節をご紹介します。
――医療技術が発達した今日においても、いのちを継承するための出産という営みには常に大きなリスクを伴うことは、変わりがありません。私たちが生まれた日は、母親が大変な苦労をした日であり、自分のいのちと引きかえにする覚悟をもって出産に臨んでくれたことに、あらためて思いを致したいものです。
親としては、子が成長するにつれて自我が芽生え、親子の間に衝突が起こるようになったときこそ、原点に返って、生命誕生の神秘や親と子のつながりを問い直してみてはいかがでしょうか――

息子が中学生となり、これまでなかったようなトラブルに親として戸惑うこともありますが、出産時のあの出来事が、息子を信じる『絆』になっていると、そう感じています。

 

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