「やわらかい心」を育てる

こんにちは。オンラインショップ「道徳の本屋さん」店長の佐野です。
週に何度か、夕方に妻から「今日、何時ごろに帰ってくる?」というメッセージが携帯電話に入ってきます。基本的には終業時間後、できるだけ早く帰るようにしていますが、たまに終わる時間が読めない仕事があります。

とはいえ「何時に帰れるか、分からない」と返信するのは、妻も困るだろうと考えて、いつも目星をつけては「7時までには帰ります」と返信していました。しかし、そういう時に限って、結局帰りが7時を過ぎるということがあります。遅く帰るとだいたい妻は「帰りが遅い!」とプリプリ怒ります。こちらも遊んでいて遅くなったわけではありません。7時を20~30分過ぎて帰ったくらいで、いちいち怒る妻の不寛容さが頭にきて、「こっちだって大変だったんだ」とケンカすることもありました。

そんなある日曜日、妻が午後から6時ごろまで家を空ける用事があり、妻が帰るまで子供たち3人の面倒を私が見ることにしました。妻が出かけていくと子供たちが家の中を遊びまわります。子供の相手をしながら、おやつの準備、お風呂の掃除、晩御飯の準備と私はてんてこ舞いです。そうこうするとあっという間に夕方の5時半になっていました。

「あと少し、6時になれば妻が帰ってくる」と期待しました。不思議なことにそう思っていると、時間の進みがとても遅くなるのです。わずか30分の間に何度も時計を見て「まだか、まだか」と気持ちははやります。しかし、6時を過ぎても妻が帰ってくる気配はありません。イライラが心に募ります。15分後、遅れて帰ってきた妻に「帰りが遅い!」と怒ったことは言うまでもありません。
 

ここで『ニューモラル 心を育てる言葉366日』11月29日「『やわらかい心』を育てる」から一説をご紹介します。
――「察し」の「察」には、「よくみる、しらべる、おしはかる」のほかに、「思いやる、同情する」という意味があります。相手の立場を察する心は、相手の立場に立ったり、考えたり、視点を変えたりする「思いやり」の基本的な力になるのです。
いろいろな立場で物事を考えられないのは、心が老化し、柔軟に考える力が弱まって、心が固くなっているからではないでしょうか。固い心からは、相手や周囲を思いやるゆとりは生まれません。一方、立場を変えてみると視野は広がります。また、公平な第三者の立場に立つことは自己の高まり、あるいは心の深まりにもつながっていくことでしょう。固い心をほぐし、「やわらかい心」を育てたいものです――


 

待つ立場になって、初めて分かったことがあります。妻が帰ってくる時間によって、先に子供たちと食事をとっていていいのか、それともお風呂を先にした方がいいのかなどの判断が変わってくるということです。妻は日ごろ、私が帰ってくる時間によって、子供たちが9時までには寝られるような段取りをしてくれていたのです。それを私が予定通りに帰ってこないことで予定が狂い、子供たちも寝るのが遅くなってしまうのでした。

これまでは「あいまいな返事は迷惑だろう」と「7時までには帰ります」と連絡していましたが、今では遅めに見込んで「9時か10時ごろになりそう」と連絡するようにしています。そうすることで、妻もそのつもりで子供たちを9時までに寝かしつける段取りを組めるからです。そうすると妻の方も少しは楽になるらしく、私が帰宅した際には「今日はお疲れ様でした」と、お互いに労われるようになりました。

自分が立場を変えて体験してみないと、なかなかほかの人の苦労や思いは理解できないものだなと感じた出来事でした。

 

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