家事、育児、看病
こんにちは。オンラインショップ「道徳の本屋さん」店長の佐野です。
実は、この8月、11日から夏期休暇を取得して、お盆は実家に帰る予定を立てていました。ところが、10日の勤務後、体調を崩して16日まで寝込んでしまいました。以前にも長期休暇で実家に帰ったタイミングで熱を出すことがありましたが、今回は帰省前。実家に帰れるはずもありません。
40度前後の熱にボーっとしていると、庭から子供たち3人の楽し気な声が聞こえてきました。どうやら、空気を入れてつくるタイプのビニールプールを妻が準備してくれたようです。久しぶりの帰省が流れて、残念に思っているであろう妻でしたが、そんなことをおくびにも出さず、子供たちの面倒を見、私の看病もしっかりと努めてくれました。
体調が回復したころに今回のことについて妻と話していると、いたずらっぽく言われました。
「休みのときに寝込んじゃだめじゃない。あなたが休みのときは、あなたじゃなくて私が休めるときなんだから」
言い得て妙だなと感心しました。家事に育児にと普段は息つく暇もない妻。夏休みともなると3人の子供たちと四六時中一緒です。それでやっと私が休みに入ったと思ったら、当てにしていた私の看病までしなければならないなんて、いろいろとストレスもあったでしょう。
ここで『ニューモラル 心を育てる言葉366日』の3月22日「自分が『誰か』になる」から一説をご紹介します。
――家庭内では、掃除も炊飯も、必ず誰かがやらなければならないものです。たとえ夫婦がそれぞれに仕事や子育てで忙しかったとしても、その家事をお互いに押し付け合うようなことがあれば、家の中が落ち着かなくなってしまいます。「率先垂範(そっせんすいはん/人に先んじて行い、模範を示すこと)」という言葉があります。誰かがやらなければならないのなら、自分がその「誰か」になろう――そのように考え方を変えることで、心が前向きになり、率先して実行する意欲を持てるのではないでしょうか。――
家事、育児、看病を率先垂範してくれた妻に感謝し、今度は自分がその「誰か」になって、私が家にいるときには妻に休んでもらえるよう、率先垂範していこうと部屋の掃除から着手する今日このごろです。