息子にプレゼントしたいもの

こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。

先日、車で2時間ほど離れた夫の実家へ帰省したときのことです。
携帯でずっとゲームをしている息子を見ながら、私はふと、自分が小学生だった夏休みを思い出していました。

新潟県にある母の実家まで、毎年、帰省していた私。
母の故郷に高速道路が開通する以前のことでした。父の運転で自宅を早朝5時に出発し、到着は13時頃。約8時間の道のりです。

車内で少し寝て目が覚めると、しばらくは外の景色を見てボーっと過ごします。
景色に飽きてくると、父にカセットテープの歌を流してもらいました。
父が唯一、持っていたカセットテープには、
長渕剛さんの『順子』、ばんばひろふみさんの『SACHIKO』、さとう宗幸さんの『青葉城恋歌』、久保田早紀さんの『異邦人』など、小学生の私にはだいぶ大人の歌ばかりです。歌詞を口ずさみながら意味を考えたりしていました(笑)。
歌に飽きてくると、弟と“しりとりゲーム”をしますが、そのうちルールがハチャメチャになって終わります。
そして、眠くなったら寝る‥‥‥。
こんなことを繰り返しながら、母の故郷の見慣れた風景が見えてくると、久しぶりに会う親戚の顔を思い出し、なんだか気恥ずかしさで心臓がドキドキしてくるのです。会いたいような、会いたくないような……。

母の実家では、祖父母と従弟たちが出迎えてくれます。
夕方近くになると仕事から叔父や叔母が戻り、夜になると親戚が集まります。
皆と久しぶりの再会を果たし、家や人の雰囲気に馴染めてきたころ、
「明日、私たちは帰るから、おじいちゃんと、おばあちゃんの言うことを聞くのよ。伯父さんと伯母さんにも、お世話になるんだから、お利口でいなさい。8月の終わりに迎えにくるからね」と、母。両親は小さな弟を連れて、私だけ置いて帰ってしまうのです。

こうして約1ヶ月、私は母の実家で過ごします。両親の車を見送る時は、なんとも切ない気持ちになるのですが、ここには仲良しの従弟が2人もいます。どこで何をするのも一緒です。両親不在の寂しさは、いつもすぐに消えていました。

3人で毎日のように通う駄菓子屋さん。川に入って小魚を獲ったり、堤防の上をずっと歩いてみたり。家の中では、かくれんぼや、怖い話で盛り上がり、オセロ、トランプ、テレビゲームなど‥‥‥。たとえ一緒に遊ばずとも、同じ部屋に一緒でいることが多く、なんだかとても落ち着きました。

8月の終わりごろ、両親が私を迎えに来ます。
帰る前日の夕食時、
「明日は何時に出るんだ? 」という叔父の問いかけに、父は
「道が混むのが嫌だから、朝の5時には出発します。早朝に皆さんを起こしてしまうのは申し訳ないから、どうか見送らないでください。黙って出ていくようで、ごめんなさい」と答えます。

それでも翌日、玄関先で見送ってくれる祖父母と叔父たち。
でも、まだ寝ている従弟たちには黙って帰ることになります。

従弟たちとの夏の思い出とともに、どんどん村から離れていく車の中。
見慣れた景色を見ながら、この時に感じる切なさといったら、涙が出るほどです。なんだか、心にポッカリ穴があいたくらいに感じるのです。
“また来年も、今年のように受け入れてもらえるだろうか‥‥‥?”
なんて思ってしまい、不安と寂しさからしばらくは立ち直れないのですが、距離が遠のくにつれてそれも自然と治まり、普段の私へ戻っていくのです。

そうして、
ひと眠りし、景色にボーっとして、歌を聞き、しりとりをして、またひと眠り‥‥‥。

何もしていない車内の8時間ですが、
今にして思うと、感情のふり幅がかなり大きかったように思います。
その分、感情が豊かになれたような……。

“自分の気持ちを感じる”
貴重な時間でした。

ここで、高橋 史朗さんの著書『日本文化と感性教育――歴史教科書問題の本質』から一節をご紹介します。
――今日の日本のような豊かな社会が訪れるまでは、子どもは自らさまざまな困難を克服し、自己の欲求を満たすことができました。そのため、自らの欲求を発見し困難を乗り越えて、自ら感性を引き出すことができたのです。しかし、豊かな時代が到来し、便利さと金銭により、たやすく基本的欲求からくる願望を達成することができるようになりました。そのため、困難を克服する必要がなくなり、子どもに内在している感性を、自ら引き出すことが難しくなってきました――

現在、中学生の息子にも、車窓からの眺めを見てたそがれるような、そんな時間をプレゼントしてあげたいと思う、今日この頃です。

 

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