世代間ギャップを超える

こんにちは。オンラインショップ「道徳の本屋さん」店長の佐野です。
つい先日、地元でモラロジーを学ぶご婦人方の勉強会でお話をする機会をいただきました。テーマを「家族間の思いやり」と設定して、このブログに書いた内容をいくつかお話させていただきました。なんとか、お話を終え、皆さんと懇談しているときです。ある方からこんな意見が飛び出しました。

「今日聞いた話は、昔では考えられないことですね」

それは、夕方になるとその日の帰宅時間について、妻と携帯電話でやり取りするという話についてのコメントでした。その方は70代。「私が子育てしていたころは、携帯電話もありませんでしたから。夕方、会社を出た夫から帰るコールがあればいい方で、ない日も多かった。でも、それが普通だったんです」と話を続けられました。

そのお話を伺って「なるほどなぁ」と深く感心しました。現代の科学技術の進歩は、まさに日進月歩です。1975年に登場したパソコンは、89年にはノートパソコンに進化し、90年代に入るとインターネットが急速に発達・拡大していきます。2000年代には携帯電話でインターネットを利用するのが当たり前になり、2010年代はスマートフォンが全世界に普及しました。10年間隔で隔世の感です。

それに伴って、私たちの連絡手段も固定電話から、携帯電話、Eメール、SNSなど、さまざまに変化を遂げています。それだけ変わると、その時代時代の人の意識にも、大きな変化があって当然です。そう考えると、子育てや夫婦・親子の関係性に対して、今の子育て世代と数十年前に子育てをしていた世代で、常識がまったく違うことにもうなずけます。

ここで『ニューモラル 心を育てる言葉366日』5月1日「富士山のイメージ」から一説をご紹介します。
――「富士山をイメージして、その形を絵に描いてください」。こう言われたら、皆さんはどんな絵を描くでしょうか。新幹線の車窓から見えるような富士山を描く人、その山頂に浮かぶ雲まで描き添える人……。中には、真上から見下ろした山の形をイメージして「◎(二重丸)」を描く人もいるかもしれません。対象となる富士山自体の形は変わりません。ところが横から眺めるのか、上空から見下ろすのか等々、観察者の視点がどこに置かれるかによって、その見え方やとらえ方はまったく異なってくるのです――

自分たちの世代の常識が「富士山を横から」見るものであっても、ほかの世代の常識は「真上から」見たり、「すそ野から」見上げたりするものかもしれません。常識とは、その人の考え方の根底をなすものですから、それが違う相手を理解することは非常に難しいことかもしれません。しかし、このような世代間ギャップがあるという前提に立って、お互いを尊重し合うことができれば、それが問題になるようなことは少なくなるのではないでしょうか。

 

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