考え方を変えてみた

こんにちは。オンラインショップ担当の望月です。

私が中学生だったとき、いじめられたことがあります。それはA君という同級生からのいじめでした。なんでいじめられているかわからず、彼に出くわすと何か嫌がらせをされるので、なるべく会わないよう、会っても人の多いところで会うよう、学校生活を送っていました。

私の中学生活は、3年間学級長を務めましたが、千葉の自宅から東京まで電車通学をしていたため(それは理由になりませんが)、遅刻が多く、毎月1回行う全体朝礼では遅刻して、最後列から級長の立つ位置である最前列へダッシュして、よくまわりに笑われていました。ほかにもふざけたことばかりしていたので、友達も多く、いじめを除いては楽しい日々でした。

A君から受けていたいじめは、彼一人から受けていたのではなく、彼のまわりにいる同級生もグルになって、私に暴力的行為をするものでした。ただ、彼一人がその場にいなければほかのグルになっている同級生は私に好意的であり、「A君さえいなければ」と思う日もありました。

ある時、私をいじめている彼の喜んでいる姿を見て、私はこう思いました。「A君は私をいじめて喜んでいるが、そうじゃない。私が喜ばせているんだ。だから、A君は私の手の上で踊っているんだ。そう思えばいいんだ」と。なぜそう思うようにしたのかわかりません。当時の読んだ本やテレビからの発想なのかもしれませんが、そのように考え方を変えてみると、いじめに合って嫌な気持ちになることが軽減されるから不思議でした。

それから約10年後、私の父・望月幸義が著した本のタイトルは『考え方を変える』というものでした。

ここで、その『考え方を変える――喜び多き人生を築く』から一節をご紹介します。
――人生には秘密があります。この秘密がよく分かれば、暗い人生がパッと明るくなります。また、現在明るい人生を送っている人は、さらに明るい人生にすることができます。この秘密は難しいことではありませんが、意識的に使っている人はそれほど多くはないでしょう。人生の秘密は、考え方を変えることにあります。
考え方を変えるということは、考え方の癖を変えるということです。見る、聞くなどの五感も癖を持っています。歩く、歌うなどの動作も癖を持っています。癖は常に一定の力を発揮しています。考え方の癖も一定の力を発揮していることになります。考え方を変えるということは力の発揮の方法を変えることを意味しています。もっと大きな力を出しましょうということです。――


 

その後、ある同級生が不登校になり、その理由を聞かれて、「A君からいじめられた」と告白しました。職員室に呼ばれたA君は先生から、そのことについて問い詰められると、「その子のことはいじめていないが、私のことはいじめていた」と白状します。

この件以来、A君からのいじめはなくなりました。なくなるどころか、会うたびに深く会釈されるようになりました。なぜだかわかりませんが、彼の担任にも会釈されるようになり、それは不思議な光景でした。

私にとって、この件はとても大きな収穫になりました。だって、自身に何か嫌なことが起こっても、考え方を変えれば、いくらでも嫌な気持ちを軽減することができるようになったのですから。

 

にほんブログ村 本ブログ 本・読書情報へにほんブログ村「本・読書情報」に参加しています。