祭りの日の駐車場で
最近、めっきり足が遠のいていた地域の森の保全活動。
「里山まつりのスタッフが足りないから、販売コーナーを手伝ってほしい」と声をかけられ、久しぶりに参加してきました。
ところが、当日の朝、成り行きから駐車場の誘導を1人で担当することになったのです。
「会場から少し離れた駐車場で1人だなんて……。私にできるかしら」と、私。
すると役員の方は
「太鼓を運搬する“太鼓隊”の車と、来賓の方しか使えないことになっている。来賓の方は、おそらく5名だけだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と。
お祭り開始時刻の少し前、太鼓隊の車が到着すると、来賓の方も次々といらっしゃり、残すところあと1名の車を待つだけとなりました。ただ、その方は来ないかもしれないとのこと。ちょっと安心していると、隣接する駐輪場にどんどん自転車が入ってきます。
“そうか、駐輪場も整備しなくちゃ”
そうして、整備・誘導しながら会場内のほうを見ると、奥の中央広場では餅つきが始まり、太鼓隊による豊年太鼓で活気が満ちています。
“例年、駐車場を担当していた方は、会場内の雰囲気を十分に楽しむことができずにいたんだな……。今年は、成り行きで私が駐車場を担当することになったけれど、それでよかった! 私の代わりに、活動に毎回参加している方が会場内の係をすることができたのだから”と、そう思いました。そして、
“よしっ! 私は普段、まったく活動に参加していないのだから、今日はできることをさせてもらおう。来るかわからない車をただ待っているのではなく、隣接する住宅前の落ち葉かきをしよう”と。
道路には、落ち葉のほかドングリが車につぶされ、汚れている箇所もあります。
駐車場の外に出て、付近の落ち葉かきをしていると
森から出てきた方に「ご苦労さん」と声をかけていただいたり、
森の入り口がわからない方を入り口まで誘導して「いってらっしゃい」と声をかけたり、なんだか楽しい気分になってきました。
すると背後から、
「これからの季節は、やっても、やってもきりがないよ~」と、犬の散歩をしている女性が話しかけてきました。
「そうですね~」と笑顔で答えると
「いいかい。木漏れ日の当たるところで、やりなさいよ」と、去って行きました。
しばらくして、女性が戻ってきました。
「上を見上げちゃいけないよ。掃除が嫌になっちゃうだろ~」と、女性。
上を見上げると、次から次へ葉がヒラヒラと落ちてきます。
「本当ですね~」と、私。
すると女性は
「でもね、夏はこの木々のおかげで天国だ。5度くらい違うんだよ。
冬の日陰は寒いんだから、とにかく日のあたる場所でやりなさいよ」
そう言って帰って行きました。
またしばらくすると、2つ先のブロックで落ち葉かきをしている方を発見。
私は竹ぼうきを持って、その方のところへ向かいました。
「落ち葉かきが十分にできず、いつもご迷惑をかけて、すみません」と、私。
すると、その方はさきほどの女性だったのです。
「何言ってるの。それは仕方のないことで、謝ることじゃないだろう。この葉が全部落ちるまでの辛抱さ。夏はこのおかげで涼しいんだから。
落ち葉かきはきりがないから私は毎日しないけど、今日みたいに、あの森にたくさんの人が集まるなら、少しは綺麗な道にしなくちゃね。
ほら、ここはこれで終わりだ。もう、ここはやらなくていいから、あなたは駐車場に戻りなさい。ここは日陰だ。身体を冷やすとよくないの。あなたは木漏れ日の中でもいいから日の当たる場所にいて、落ち葉かきをすればいい。そして、車が来たら誘導すればいい」と。
その言葉を聞いて、
“ああ、この方は、私が駐車場の担当だってこともご存知なんだ。初めから、ずっと気にかけてくれていたんだな……”と思い、胸がジーンとしました。
「お優しい方」
そうお伝えすると、女性は「私は優しくなんかないわよ」と照れていらっしゃいました。
ここで『ニューモラル 心を育てる言葉366日』の12月23日“優しさとは、常に相手に心を向けること”をご紹介します。
――私たちの心づかいは、表情や態度、具体的な言葉や行動など、さまざまな形で表れますから、ひと口に「優しさ」といっても、そこにはいくつもの表現があります。例えば、明るい表情で接する、励ましの言葉をかける、相手の話に耳を傾けるなど。こうした直接的な言動に、「相手の心に寄り添いながら、粘り強く見守り、幸せを祈る」といった優しさも加味されたなら、その優しさは、より深く、大きなものになっていきます。
「優」という字は、人偏に「憂」というつくりでできています。「憂」とは、相手のことが気にかかる、心配だ、なんとかならないかと、相手のことに心を痛めることです。そうした心づかいや言動の積み重ねが、一つの大きな「優しさ」を形づくり、人を温かく包み込んでいくのではないでしょうか――
“会場から少し離れた駐車場で1人”と思っていたけれど、そのそばには優しい方がいらっしゃいました。