悪いのは、うそをつくほう? つかれるほう?

 こんにちは。オンラインショップ「道徳の本屋さん」店長の佐野です。
私には3人の子供たちがいますが、最近、長女(8歳)と長男(5歳)がうそをつくようになりました。姉弟でよく遊んでいるのですが、気がつくとすぐに喧嘩が始まります。そこに割って入って喧嘩の理由を聞くと、だいたい「弟が先に手を出してきた」「お姉ちゃんが先に手を出した」と、お互いが先に手を出されたと主張します。

もちろん、順を追って2人の話を聞いていけば、どちらが先に手を出したのかは明らかになるのですが、それでも最初に「どっちが先に手を出したの!」と聞いても「自分がやった」とは言いません。うそをついた子には「どうして、うそなんかついたの」と叱るのですが、次から素直に「自分がやった」と申告するようになるわけでもなく、悶々としていました。

そんなとき『すばらしき母親の物語』(有吉忠行著)の「親が子に、うそをつかせる」という一節と出合いました。以下は、ある母親の独白です。
――私は「どうして、うそをついたの」「なぜ、本当のことを正直に言わなかったの」などという、とがめ方は自ら戒めてきました。まず、何よりも、子供が、うそをつくのは、必ずしも、子供の側のみに責任があるのではなく、むしろ、子供に、うそをつかせるようにしてしまった親のほうにこそ、問われるべき責任があるのではないか。生まれつきの、うそつきなんかいないのだから――と、考えるようになったからです。(中略)そこで、基本的な親のあり方を自らに問い直しながら、子供のしたことは結果だけにとらわれず、むしろ、結果を生むまでの過程をこそ、あたたかく受けとめてやるようにしてきました。そして、その過程を知るにも、決して子に問いつめるのではなく、子に主体的に語らせ、その心の流れを十分にくみとっていく。このように心がけてみると、それまでの子の心の受けとめ方が、いかに、おろそかであったか、いかに親本位であったかということが、はっきりしてきました――

子供にしてみれば、喧嘩について叱られたうえに、うそをついたことをとがめられるのは二重苦だっただろうと思います。喧嘩の発端は口喧嘩で、一方の子が我慢できないほどの悪口を言われたからでした。それで手を出すのはいけないこととはいえ、まずは悪口を言われた子の思いを受けとめるという親の態度が必要だったのではないのか。そういう姿勢が足りないからこそ、子供たちは自分を守るためのうそをつくのではないのだろうかと思いいたりました。

本書に描かれている親の理想像は、とても次元が高く、そこまで到達するには大変な努力が必要に思えます。しかし、その高い理想に近づく努力をし続けることに意味があると受けとめ、日々の子育てに向き合いたいと思います。

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