人に喜ばれるように

こんにちは。オンラインショップ担当の望月です。

私は中学生のころから電車通学をしていました。約1時間電車に乗るため、立ちっぱなしだと疲れるので席が空くと座っていましたが、お年寄りや身体の不自由な方が周りにいると、席を譲っていました。

あるとき、1人の老人が電車に乗ってきて、座っている私の前に来たので、その老人に席を譲りました。当然お礼の言葉をいただけると思っていた私でしたが、その老人は無言でした。
その対応が不満だった中学生の私は「お礼の一言も言えない大人もいるんだな。大人がそういう態度を取るなら、もうこれからは席を譲らない」と、それ以降(と言っても少しの間ですが)、席を譲らなかった時期があります。

今思えば、席を譲った相手の反応を気にしている自分がなんとも情けなく恥ずかしいことだったと反省しています。本当に相手のことを思って席を譲ったのであれば、見返りなんてどうでもいいことです。

ここで『ニューモラル 心を育てる言葉366日』5月28日‴「他人のため」は「自分のため」‴をご紹介します。
――鎌倉時代初期の禅僧・道元(1200~1253)の教えをまとめた『修証義(しゅしょうぎ)』の中に、「利佗(りた)を先とせば自らが利省かれぬべしと、爾(しか)には非(あら)ざるなり。利行(りぎょう)は一法なり、普(あまね)く自佗を利するなり」とあります。
私たちは、他人の利益を優先させれば、自分の利益が減ってしまうというように考えがちです。しかし、そもそも「他人のため」と「自分のため」を分けて考えること自体に誤りがあるのではないでしょうか。人々に利益を与える行為は、それを行う本人にとっても「利行」です。自分と他人をも共に利するのです。
どんな仕事にも、それによって助かる人や喜んでくれる人が、必ず存在するでしょう。人の役に立っていると実感できれば、自分自身の喜びが生まれます。日々の仕事を、まず「人に喜ばれるように」という視点でとらえ直してみませんか――

中学生だった私に足りなかったのは、「他人のため」と「自分のため」を分けて考えていたところではないでしょうか。もし「共に利する」という考えを持っていたなら、見返りなんて期待しなかったはずです。「人に喜ばれるように」という思いを強く持ち、席を譲ることをはじめとして、道を譲るというようなことも積極的に行い続けていこうと誓う今日このごろです。

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