「ウィズ・コロナ」「アフター・コロナ」を見すえて
こんにちは。広報出版部『所報』担当の加島です。
先日、新型コロナウイルス禍の影響で、初めてテレビ会議なるものを体験する機会を得ました。技術的なことは不案内なのですが、移動の必要が無いのでなんとなく割安感がありますし、対面に比べても意外と遜色ない意思疎通がはかれ、後は場数を踏んで慣れていけばよいのだなと思いました。ニュースなどで、「オンライン飲み会」をしている人たちの映像が流れると、酔っぱらってはいませんが、こんな感じなのだなと共感する気持ちも湧いてきます。
新型コロナウイルスのワクチン開発に関しては、「早ければ年末には接種できるようになるかもしれない」という段階のようですが、第二波、第三波のことを視野に入れ油断しないよう気をつけねばならないでしょう。
さて、このような先行き不透明なときに、私たちはこれからどうなるのかといった一種「占い」のようなものに意識が向きがちになるのではないでしょうか。モラロジー研究所刊の『運命を開く易経の智恵』(渡部昇一・中山理 著)には、中山理教授の文章として、
「現代のわれわれにとって、易のどんなところがおもしろいかというと、今、よく言われるビッグデータ(※)の視点と重なるところがあるように思えます。(中略)その多量なデータから、いろいろなことが判断できるという点が易学的ですね。古代人にとっての易は、ある意味で、現代のビッグデータと同じような役割を果たしていたのではないか、なんて想像してしまうんです。もちろん、ビッグデータと易のデータでは、情報の量・質ともまったく異なりますが、双方とも、人生や仕事に役立つ知見を導入するための情報だという点は同じです。それぞれの情報を分析すれば、今まで見えなかったものが見えてくるとか、新しい視点で価値判断ができるようにもなるとか言われていますね。そして何よりも、未来に起こりうることが、そのビックデータから予測できるようになる。だとすると、この易の知識も、ある意味では、精神の世界でビックデータと同じか、それ以上の機能を持っていたのではないでしょうか」
とあり、渡部教授も肯定的な受け止め方をされています。
かつて経験したことのない新型ウイルス禍に遭遇している私たちに、何らかの示唆を与えてくれるものと期待できます。本書の最終部分での中山教授と渡部教授のやり取りです。
中山 それにしても、古典を学ぶと、何だか肚が据わった感じがしますね。
渡部 それが古典を学ぶことの意義なんですよ。
(※) ビッグデータ
一般的なデータ管理・処理ソフトウエアで扱うことが困難な巨大で複雑なデータの集合を表す用語。
「ウィズ・コロナ」「アフター・コロナ」を見すえて、『易経』をはじめとした古典を紐解いてはいかがでしょうか。なお、弊所刊の渡部教授・中山教授の共著は、他にも『荘子に学ぶ 明鏡止水のこころ』、『読書こそが人生をひらく―「少」にして学び、「壮」にして学ぶ』があります。合わせてお目通しいただければ、さらに視野が広がり明るい未来が開けてくるでしょう。