「父親の役割」とは? 子供にしてあげられること。
先日、何気なくSNSを見ていると父親の役割に関する投稿が目に留まりました。内容はあまり覚えていませんが「父親の役割」というキーワードだけが、その後も頭に残りました。
「自分の子供にしてあげられることは何だろう」ということについて考えてみました。
父親の役割ってなんだろう?
大きく変わった父親像。「地震・雷・火事・親父」から「イクメン」の時代へ
最近は「イクメン」という言葉どおり、運動会や発表会といった行事に父親が参加し、休みの日には子供を近所の公園に連れ出し、夜は子供を風呂に入れ、寝かしつけまで行うパパさんも増えているようです。
大手広告代理店の営業マンが「イクメン」という言葉を流行らせ、結果、流行語大賞のトップ10入りを果たしたのが10年前(平成22年)。かたや、私が物心ついたころ(30年ほど前)はまだ「地震・雷・火事・親父」という言葉をかろうじて耳にしていた気がしますので、父親の存在感や立ち位置が大きく変化してきたのはどうやらこの期間(平成の時代)といえるかもしれません。
そんなことを考えていたところ、一冊の本の存在を思い出しました。北海道の小児科医・田下昌明さんが病院での診察とご自身の子育ての経験をまとめた『親になる前から学びたい 安心の子育て塾』(モラロジー研究所刊)という本です。
父親の役割と母親の役割は違うのか?
役割が違うのならば、なぜ違うのか? そんなことをぼんやり考えていた私の目に留まったのは、次の一節でした。
―― 結婚せずに子供だけは欲しいという男性はほとんどいません。しかし、結婚はしなくても子供は産みたいという女性はそうめずらしくありません。そしてこれは当然のことなのです。というのは、母性愛はDNAにプログラミングされ、ホルモンの分泌によって加速されている、つまり、母性愛は生物学的に自然発生するものであり、それは『無条件』『無制限』のものなのです。
一方、父性愛はDNAに書かれていないので自然発生しません。父性愛は『いま目の前にいる子は自分の子である』ということを納得することから出発する、すなわち父性愛は社会的に、後天的に発生するものです。
したがって、父性愛は『無条件』でも『無制限』でもありません。
しかし、生物学的でなく社会的な関係だからこそ、父親は子供に社会性を教えることができるのであり、このことこそが父親の役割の中心をなすものなのです ――
父親として、今、子供たちにしてあげたいこと
母親の愛情は生物学的に自然発生するものであり、父親の愛情は社会的に後天的に発生するものであると田下さん。続けてこう指摘します。
―― 社会性を教えるためには『とにかく子供と遊んでやること』です。子供の社会性は遊びの中で身につくものなので、徹底して遊んでやればいいのです。もちろん遊びの種類は子供の年齢によって違いますが、子供は1歳ぐらいから、父親を母親とは区別しており、その遊びの中で父親に協力します。これがすなわち『社会性の芽生え』です。(中略)
では、子供と遊ぶのはいつ頃まででしょうか。子供は12歳ぐらいから親や先生の言うことよりは、仲間や先輩の言うことのほうに従う傾向が出てきて集団行動をとるようになります。父親が子供と積極的に遊んでやろうという心がけは、このあたりまでを目途にするといいでしょう ――
社会性を教えるために父親にできること、それはとにかく一緒に遊んでやること。そしてそれは12歳ごろまでだと田下さんは言います。
たしかに振り返ってみると、私と父との関係も……
・小学生(12歳)まで:よくキャッチボールなどをして遊んでくれた
・中学生(13歳)以降:無関心(私自身が父に対して)
・社会人(23歳)以降:色々な問題について相談に乗ってくれた(今も)
といった関係だった気がします。
わが家の長女が今、9歳。個人差はあるにせよ、あと数年もすれば父親とは疎遠になるかもしれないと思うと少し寂しいですが、社会人以降にお酒でも酌み交わしながら色々な相談に乗ってやることを楽しみにしつつ、今はできるだけたくさん遊んであげたいと思います。