「歴史」と「道徳」の関係とは?

 秋が深まり、読書に費やす時間が多くなっている広報出版部の忍足です。
 厚い本にがっぷりと取り組み、いつの間にか時間が過ぎてしまって寝不足、というのがこの時期の生活パターンとなっています。
 寝不足になるまで読んでしまう「歴史」の本について、その魅力をお話します。

歴史とは“過去に起きた事象”という認識だけでは勿体ない

「歴史」の本は「道徳」の本でもあると感じます

 現在、ちょうど読んでいるのが、占部賢志氏が書かれた『歴史の「いのち」』 『続 歴史の「いのち」』です。二冊合わせて堂々の678ページ!

 本書は、タイトルの通り、歴史を題材としています。また、サブタイトルに「時空を超えて甦る日本人の物語」「公に生きた日本人の面影」とあるように、日本人が残してきた足跡を丁寧に拾い上げて、数々のエピソードを紹介しています。それゆえに、歴史の本であると同時に、先人先輩に心を向けて、感謝の念を呼び起こす、「道徳」の本でもあると感じます。

 思えば、先人先輩の努力の上に積み上げられた成果物を、後世に生きる私たちは享受しています。ならば私たちも先人に恥じぬ生き方をしなければならないし、正しい日本人の物語(歴史)を次の世代に伝えていく必要があると強く感じます。
 そういうことを気づかせてくれる本です。
 

私が「歴史好き」になったきっかけとは? ――小学生時代の「道徳の時間」

 あえて言うことでもないのかもしれませんが、私は歴史に触れることが大好きです。なにゆえ自分自身が歴史好きとなったかを思い返してみると……。

 私が小学生時代のこと。その当時でも、一応、「道徳」の時間がありました。もちろん現在のような正式な教科としての道徳ではなく、多くの場合、NHK教育テレビ(現Eテレ)で放送される小学生向けの教育ドラマを視聴し、クラス内で話し合いを行うという内容でした。
 話し合いと言っても、小学生が考え、認識している道徳は、それほど深いものではなく、感想を述べるだけで授業時間が終わってしまうことがほとんどでした。
 私も含めてクラスメイトたちは、休み時間に校庭で遊ぶことに気をとられ、理解度はかなり怪しいものだったと思います。

 ただ、そんな道徳の時間のとき、たまに先生の話が雑談に流れ、昔の話というか神話や歴史の話になるのが楽しみでした。好奇心旺盛な私は、今まで触れたことのなかった話に興味をひかれたものでした。
 自分自身が生まれるはるか前に何があったのか、昔の人たちがどのような暮らしをしていたのか、戦国時代の話や戦時中の話もありました。まるで見てきたように話してくれる先生の姿が、私には輝いて見えたものです。

 ところが、社会科の歴史授業になると、とんとつまらない。社会科の成績自体はそれほど悪かったわけではありませんが(とはいえ、良くもない)、どういうわけか内容に興味が湧きませんでした。進学してからもそんな状況は変わらず……。
 おそらく、授業で学ぶ歴史が、ただひたすらに年号と出来事の名称を覚えるだけの暗記科目となっていたからかもしれません。だからか、授業の内容について、感動を覚えるようなことがなかったのです。思うに、ヒストリーのストーリー部分が語られることなく、歴史の息吹が歴史の授業から遠ざかっていた結果だと考えています。
 

「歴史」の本を通じて広がる世界

 高校まで授業は面白くなかったものの、歴史自体は好きで、自ら望んでたくさんの歴史の本を読み漁ったものです。歴史を通じて政治や法制度などにも興味が湧き、知識の世界が広がっていきました。時が経つごとに、私は歴史が好きなのはもちろん、現在を築き上げてきた先人先輩が好きであり、その先人先輩を育んできた日本が好きだということを気づかされました。

 そして、今。『歴史のいのち』を紐解いたとき、なぜか、小学校時代の道徳の時間に、数々の歴史の話をしてくれたあの先生のことが思い出されました。
 本書のエピソードに詰まっている先人の尊さ、勇気と希望に満ち溢れた行い。それらの一つひとつに胸がわくわくさせられます。読み進めるごとに心の奥底から活力が沸き上がってくるのと同時に、「あなたは先人先輩に恥じない生き方をしていますか」と問い掛けられている気がします。そうした意味で、歴史は過去の事象を紹介するだけではなく、未来への道を指し示してくれるものなのでしょう。
 

 感動し、同時に姿勢を正される。そんな時間が、秋の夜長にしばらく続きそうです。