心の中に生きる祖父母
こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
昨年、97歳で他界した祖母の月命日で、親族が集まったときのことです。
「おばあちゃんは、おじいちゃんと38年ぶりに再会することになるのか~。
向こうで2人はちゃんと会えたのかな……」と、ふとつぶやいた私に、
叔父が言いました。
「この前、お墓参りに行ってきたんだけどね。
こっちに歩いてくるご夫婦が気になって見ていたら、なんと前を歩いていたのは“お父さん”。
少し後ろを“お母さん”が歩いてたの! ぼくは、すれ違うときに“お父さん”と目が合って会釈を交わしたんだ」
その不思議な話に
「おじいちゃんが亡くなったのは59歳、おばあちゃんは97歳でしょ。年の差はどうなってたの?」
と、興味本位で聞いた私。
「お母さんは、お父さんの年齢に合わせて若返ってたよ~(笑)
2人はちゃんと向こうで再会しているんだよ。たまに、孫の顔を見に帰ってきたり、2人で旅行にも行っているみたい」
「孫の顔を見にって、私はもういい年だけど……。ひ孫(私の息子)を見に来ているってこと? 」
「ひ孫じゃないよ。あなただよ」
実は、私の実家は職場の近く。仕事の日の昼休みには実家へ戻り、祖父母の仏壇に手を合わせています。
あの時間のどこかで、2人は私の傍に居たのかしら……。
目に見えずとも、きっと傍で見守っていてくれている……。
そんなふうに思える人たちが自分の心に存在していることは、幸せなことだと思います。
占部賢志さんの著書『続 歴史の「いのち」――公に生きた日本人の面影』
から、一節をご紹介します。
――歴史の学び方は、畢竟「言葉」を読み味わうことに尽きる。
幾つもの史実を突き合わせ、どんなに上手に整理してみたところで、それだけなら歴史の形骸に過ぎない。
やはり過去に生きた人々の心持ちを、その遺された言葉から汲み取って初めて歴史は生き返ってくる――
過去に生きた人々の「心持ち」を探っていく歴史の学び方は、
私の心にもすんなりと入ってきました。
心は時間も超えるのですね……。