「待ってくれている人」の存在
こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
仲良しのおじちゃんが経営している喫茶店。
ここで月に1度開かれている“こども食堂”に、私もスタッフとして参加しています。
1年前、“こども食堂”の話を聞きたいという60代くらいの男性が訪ねて来ました。
おじちゃんが一通りの説明をすると、次の回からスタッフとして参加してくださることになりました!
男性は、こんな話もされていました。
「私は今、市内在住のお年寄りを対象にした、運転の有償ボランティアをしています。
足の不自由な方の通院やお買い物、市外へのお墓参りなどに車を出す仕事です。趣味のサークルに通うときに利用される方もあります。いつだったか、都内の劇場へお連れした際は、私もご一緒に観劇しました。実は、今日の夕方も、ある方をお迎えに行くことになっているんですよ」と。
「そうだったんですか。移動範囲が広いと時間が読めないこともあるでしょうし、お相手の方に合わせるお仕事はいろいろとたいへんでしょうね」と私が言うと、
「こんなことを言うのはお恥ずかしいのだけど……、
この年になってようやく、自分のやりたい仕事にめぐり合えたと思っています。
時には理不尽だなと思うこともありますが、それでも“ありがとう。本当に助かったよ”と言ってもらうたびに、そんな思いもどこかへ吹き飛んでしまうほど、毎回、感動するのです」
『道経塾』No.113の特集の中で、
モラロジー研究所の松浦勝二郎顧問は次のようなお話をされていました。
――人間は誰もが、心の深いところでは、自分の真価を信頼し、真価に本気で期待をかけてくれる人を求めています――
“いつか、あの時のお話の続きをお聞きしてみたい”
そう思っていた矢先、その方は体調を崩されてしまいました。
休養された後に、
「こうして、元気になりました。私を待っていてくださる方がいるので、もう少ししたら運転の仕事にも復帰するつもりです。楽しみだ」と、
にこやかなお顔を見せてくださいました。
その日の別れ際、
「あなたとは、ここに初めて来た日にもお会いしたし、今日もお会いしましたね。
あなたも毎日ここにいるわけではないのに、何かご縁があるのでしょうね」
そう声をかけていただいたことが、最後の会話となってしまいました。
時間が許すなら、もっともっとお話をお聞きしたかった方です。