危機的状況だからこそ

こんにちは。オンラインショップの小林です。

先日、市内の豊かな自然を調査しているNPO団体が主催した、
「里山の自然と活動を子供たちに」というテーマの意見交換会に参加しました。

それぞれの地域の活動家と、市の広報紙を見て足を運んでくださった市民の方々とのふれあいの場です。

その中で、
「山野草の希少種が発見された時の注目度は高いけれど、だんだん個体数が減少しているということへの注目度は低い。一般的に、そんな傾向があると思います」という発言が。
その言葉が、妙に私の心に突き刺さったのです。

ここに集まる方たちは、山野草への愛情はもちろん、その個体数の減少が、やがては人間にも影響する“危機の警鐘”として捉えています。
日々の自然観察から、生物多様性と人間の関係を考え、安心できる環境やその大切さを未来の子供たちに伝え残そうとしているのです。

心のどこか片隅で……、
「個体数の減少は、自然の成り行きだから仕方のないこと」と片付けて、何もしないことを選択しようとしている自分。

でも、よくよく考えてみて、
私が保全活動に通っている森は、これまで地権者と先輩方が守ってきた森。
そして、これからも人が深く関わるこの森に、そもそも「自然の成り行き」という考えを当てはめるのは、おかしなことなのだろうな……と、反省しました。

『皇位継承の歴史と廣池千九郎』から一節をご紹介します。
――『皇室野史』という著書(明治26年)です。廣池博士は、若いころから、当時の学者たちがやろうとしなかった奇抜なことを実現していますが、本書もそうなのです。
実は当時も、皇室研究は広く行われていました。本書の特色は、着眼点が非常に独特なのです。当時の研究者は、啓蒙書の類も、建国の偉業とか、王朝文化華やかなりしころとか、そういう時代に力を入れていました。ところが廣池博士は、皇室が衰えた時代にスポットを当てたのです。
(中略)皇室が最も衰えている時代だからこそ、本当の道徳が明らかになる――

“危機的状況だからこそ本質が見えてくる”
日々の観察や研究があるからこそ、順境や逆境の時との比較を通じて、その本質を知ることができるのでしょう。
とても意義深いことですね。

 

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