エネルギー

こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
ご近所の方が経営している喫茶店で、月に1度、開かれている「子供食堂」。
数ヶ月前から、お米を提供してくださる方がいます。
先日、その方とお会いしたときのことです。

「私は、栄養士をしていました。現在は、子供たちへの“食育”に関して微力でも社会に貢献できたらと思い、公民館で料理教室を開いたり、機会があれば皆さんに“栄養”についての話をしています。こちらの“子供食堂”のオーナーは、小学校の先生だったそうですね。先生を辞められても、ずっと子供たちのことを考えていらっしゃるお姿に感動して、お米を提供させていただいています」と、その方。
オーナーのおじちゃんは少し照れた感じで、
「いや、せっかっくお店をやっているのだから、その特徴を活かした子供食堂をやって、子供と大人のコミュニケーションの場になればいいな……と思ってね」と。
すると、その方は
「こちらの子供食堂でも、以前、話をする機会を設けていただきましたね。そんな私自身も、まだまだ勉強の身です。講師の先生をお迎えした栄養学の勉強会に通っています。コミュニケーションといえば、ある先生は、人を思いやれることが難しい時代になっている今、家庭でできることがあるとおっしゃいます。それは、子供に想像力をつけてあげること。たとえば、仕事で忙しく夕飯を一緒に食べられないお父さんの席に、あえて箸置きと箸を並べ、子供に、お父さんの存在を“想像”させるんだそうです」と。
「うわ~! その箸は、なんて奥が深いのでしょう!! 考えたこともありませんでした」と、頭を抱えた私を見て、その方は
「私も、勉強会に出る度に自分の子育てを振り返り、“あぁ、なんて取り返しがつかないことをしてきたんだ……”と反省しながら帰るのです。ただ……、反省しない毎日を過ごすより、反省する日々は有意義だと思うと、学ぶことが楽しくて仕方がありません! 」と。

いつの間にか、身を前に乗り出し、その方のお話にグイグイと惹きこまれていった、おじちゃんと私。まるで、その方の感じている楽しさがエネルギーとなって、この場の空気に溶け込み、高揚とした場を作っているかのようでした。

ここで『改定 廣池千九郎語録』から一節をご紹介します。
“実行せぬ説教や教訓は生命なし。生命なきものは、死せるゆえに人心に芽を吹かず。実行せしことを話し、または書く時には、それは他人の心に移し植えられて芽を吹く”

心の底から楽しんでいる方のお話は、聞き手の心にエネルギーさえ分け与えるかのようです。

 

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