明日、家族が食べる分くらいはあるだろう

こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
毎年、義父、義母と新年を迎えています。
お正月に皆がのんびりと暖かく過ごせるように、お雑煮、煮物、新潟の郷土料理“のっぺ”を入れた大きなお鍋3つと、おせちの重箱を持って帰省しています。
おせちとはいっても、おめでたい食材がずらりと並ぶ豪華なお重ではなく、まるで子供の運動会のお弁当のようなものなのですが、それでも義父や義母は
「ありがとう! 美味しい、美味しい」と、食べてくれるのがとても嬉しいのです。

昨年の夏、義父が他界。
今年は、昨年より少し多めに作ったお鍋3つと、お弁当としてお重を持って帰省しました。車を運転しない義母は、普段の買い物にも不便な思いをしている様子。そこで、柏の自宅へ戻る際、義母が少しでも楽できるようにと食材や日持ちする料理を冷蔵庫やお鍋に移しておきました。

自宅へ戻った翌日、今度は私の母から電話がかかってきました。
「お父さんと2人じゃ食べきれないくらい、たくさん料理を作ってしまったから、ぜひ食べに来て欲しい」と、母。
私の実家を訪ねると、テーブルにはたくさんの料理が並べられていました。
「いただきます」と手を合わせ、久しぶりに両親と一緒の夕食です。
すると、
「ここで食べきれない分は全部、持って帰っていいんだよ。ほら、煮物を持って行きなさい」と、母。
「煮物といえば、私もたくさん作ったのよ。ただ、お義母さんが少しでも楽できるように、他の料理も全部、冷蔵庫やお鍋に移してきたの」と、私。
すると、母は心配そうに
「もし、お義母さん1人じゃ食べきれなかったら、ちょっと気の毒じゃないかい」と。
そこで、
「実はさっき、お義母さんから電話がかかってきたの。1人じゃ食べきれないから、近くに住んでいる叔父さんご夫婦におすそ分けするって。お義父さんが亡くなって1人になったお義母さんを気にかけてくれる仲良しの叔父さんご夫婦だから、例えばお茶する時の話のネタに使ってもらえるだけでも、嬉しいんだ」と、私。
「それはいいことだ! あなたの料理が、叔父さんたちにも食べてもらえるなんてね」と、嬉しそうな母です。
それからしばらくして、「ご馳走様でした」と手を合わせた私に、
「ここで食べきれない分は全部、持って帰っていいんだよ」と、母が繰り返します。
はじめのうちは、「大丈夫よ。ここでお腹いっぱい、いただいたから」と言っていました。
すると母が静かにほほ笑みながら、
「明日、家族が食べる分くらいにはなるだろう」と、
私の目を見つめ、つぶやくように言ったのです。
その言葉を聞いて、やっと気が付きました。
母から私への想いは、私自身が義母へ抱いた想いと同じであることを。それは、大事な人を案じ、少しでも役に立てれば嬉しいという想いです。
そこですぐにタッパに煮物を詰め込み始めた私。
「ありがとう。いただいていくね」と言って母を見ると、私を見つめながらにっこりと笑っていました。

ここで、『ニューモラル 心を育てる言葉366日』12月23日「優しさとは、常に相手に心を向けること」から一節をご紹します。
“私たちの心づかいは、表情や態度、具体的な言葉や行動など、さまざまな形で表れますから、ひと口に「優しさ」といっても、そこにはいくつもの表現があります。例えば、明るい表情で接する、励ましの言葉をかける、相手の話に耳を傾けるなど。こうした直接的な言動に、「相手の心に寄り添いながら、粘り強く見守り、幸せを祈る」といった優しさも加味されたなら、その優しさは、より深く、大きなものになっていきます」”

「明日、家族が食べる分くらいはあるだろう」という母のひと言には、娘自身もまた母であることに“寄り添い”“見守り”“幸せを祈る”、そんな慈愛がたっぷり含まれていました。
そのたったひと言だけで、見える物しか見ていなかった私の視野を拡げ、本当の幸せへと導いてくれたように思います。

それにしても考えてみれば、私が作る“のっぺ”は母の故郷の郷土料理。そしてお雑煮も母から教わったものです。その料理で、私も義母の役に立つことができるのですから、母から与えられたものは、はかり知れません。

母の前では私はいくつになっても、母の子供。
そんなことを思った年はじめとなりました。

この一年も、世界中に慈愛が満ちる一年となりますように……。

 

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