あの道

こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
4年前のお正月。夫の実家へ帰省していたときのことです。
当時、小学2年生だった息子に“線路の跡地があるから、見せてあげたい”と、義父。その道を知っているのは義父だけでした。
そうして、朝食を食べた後、義父と夫と息子の3人で散歩に出かけました。
ところが、昼近くになっても帰ってきません。義母と心配していると、夫から電話がかかってきました。
「いや~、思っていたより1本の道が長いんだよ。親父は普段、車でスーっと通ってくるようで、正直、歩くとこんなに長いとは思ってなかったみたい。もう皆、限界のようだから車で迎えに来てくれないかな」と。
しかし、私は運転が苦手なうえに、かなり臆病。
「土地勘がない場所で、どこにいるかもわからない人を探しに行くなんて、絶対に無理~!! 」と、困惑してしまいました。
すると夫は「わかった、そうだよね。ごめん、大丈夫」
そう言って、電話が切れました。そのやり取りを聞いていた義母は
「大丈夫よ。きっとタクシーで帰ってくるわよ」と、明るく言ってくれました。

そうして昼過ぎ、
「ただいま!! やっと着いたー」と、くたびれた様子の3人が帰ってきました。
義父はそのまま寝室に直行し横になった様子。夫は居間へ。
「タクシーで帰ってきたの? それにしては時間がだいぶかかったね。だいたい、目的地には辿りつけたの? 」と、聞きたいことがたくさんの私。すると夫は、
「線路には辿りつけたよな~! 楽しかったよな~」と、息子に言いました。
息子も「うん! 」と、楽しそうに答えます。
「そこで、しばらく遊んだまでは良かったんだ。問題は帰りだよ! 来た道を戻るのはつまらないから、ぐるりと回って帰ることにしたんだ。そこで曲がった道が思っていたより長くて、まいっちゃったよ。こんなに歩くとは思っていなかったから、飲み物を買う小銭すら持ってなかったんだ」と夫。
「飲み物すらない過酷な状況だったとは……。迎えに行かなくてごめんね」と、私。
すると義母が
「お金を持っていなかったとはいえタクシーを呼べばよかったのに。家についてから払えばいいんだよ」と。
「いやね、途中にコンビニがあったの。皆、疲れていたし、親父に“トイレ休憩しよう”って言ったんだ。そしたら“今止まったら歩けなくなるから、前に進む”って言うんだよ。あれは親父も相当、追い込まれていたに違いない。そのまま先に行っちゃったんだよ! だからトイレを済ませてすぐ親父の後を2人で追いかけた。そして親父に追いついた時、親父がポケットからジュースを1本出してきたんだ。あれには驚いたな~! どうやらトイレに行っている間に買ってくれたらしい。その1本をありがたく2人で分けて飲んだんだよな~ 」と、夫。
「おじいちゃんは、お金持ってたんだ。美味しかったね~」と、息子。
「あのジュースは本当に美味しかったよな! 迎えに来て欲しいと電話をしたけど断れちゃったし、親父はどんどん歩いて行っちゃうし。“これはもう前に進むしかない”って、歩いて帰る決意をしたんだ! 」と、夫。

昨年、他界した義父との思い出です。

今年の元旦の夜、義父の使っていた寝室に3人で寝ていたところ、
「俺は明日、もう一度、親父と歩いたあの道を行ってくる。今度はランニングでね」と、夫が言い出しました。
6年生になった息子が「行ってらっしゃい」と言うので、翌朝、1人で出発。
1時間後に戻って来ました。
「あの道は6kmだったよ。あの時は、道を知らなかったせいかもっと長~く感じたな。でも、もう前に進むしかなかったし、前に進んだからこそ辿りつけた。それを3人でやり遂げたっていう達成感があるんだ」と、スッキリした様子の夫。

ここで、『ニューモラル 心を育てる言葉366日』7月18日「家族は運命共同体」から一節をご紹します。
――1人の喜びは家族の皆の喜びとなり、家族の皆が喜ぶことで、その喜びが2倍にも3倍にも大きくなります。また、1人の苦しみや悲しみは、家族全員の苦しみや悲しみとなります。しかし、その困難を家族の皆で分かち合うことで、力強く乗り越えていくこともできます。まさに、家族は「運命共同体」なのです。たくさんの喜びや悲しみを家族で共有することで、“私は家族と共に生きている”という実感が生まれてくることでしょう――

義父、夫、息子の3人が「運命共同体」となって家族の絆を育んだ6km。
その道を通るたびに、夫の胸には義父との思い出がよみがえるのでしょう。そして、何かピンチに追い込まれるようなときは、あの時の義父の背中を思い出すのかもしれません。

 

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