“嫌いなもの”がわからない
こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
先日、体調を崩した私を気づかい、コンビニでお弁当を買ってきてくれた夫。
ビニール袋を3つ、手に持って帰宅しました。
夫は、ビニール袋からサラダやお惣菜を取り出すと、
別のビニール袋から「さあ、君はこれ」と、息子の前に牛丼を。
続けて「最近、これすきなんだ」と、自分にはカレードリアを。
そして最後のビニール袋から、
「お母さんには、これね。今は脂っこくないものがいいと思って」と、おにぎりを私の前に置きました。
「どう? 希望を聞かずに見繕ってきたけど、いい見立てでしょ」と、夫。
息子は、「ヤッター! 」と両手を上に突き上げ嬉しそうです。
「ありがとう!! 」と私も言うと、夫はつかさず
「お母さんは、このおにぎりが好きなんだぞ。俺は、お母さんの好きなものは何でも知ってるんだ! 」と、息子に向かって自信満々です。
そこで思わず、
「じゃあ、嫌いなものは何でしょう? 」と聞いた私。
もちろん、すぐ答えが返ってくると思ったのです。
ところが夫は、
「……あれ? 何だっけ? 」と、私の顔を見ながら必死で考えています。
とうとう、「うわ~、知らないことに今まで気づかなかったよ。自分でもビックリだ! 」と、笑い出しました。
息子も一緒に笑いながら「お父さん、何でも知ってるんでしょ? 忘れちゃ駄目じゃないか~ 」と。
すると夫は、
「違う! 俺は“好きなもの”なら何でも知ってるんだ! そのかわり“嫌いなもの”がわからない」と。
私も
「付き合いが長いのに、私の嫌いなものがわからないなんて。私は2人の好きなものと嫌いなものは、ちゃんとわかってるよ」と茶化しながらも、嬉しく思っていました。
「あのコンビニのおにぎりだね! 」と、私。
「いつだったか、“おにぎりは、あのコンビニが一番好き”って言ってたでしょ。だから、コンビにを2軒まわって、帰りがおそくなっちゃった」と、夫。
“そうか……。「好きなものだけ知っていて、嫌いなものは知らない」ということは、こういううことなんだ! ”と、思った私。
おにぎりは、どこのコンビにでも売っているのに、わざわざ“好き”と聞いたコンビニに買いに行く夫、もし私だったら、なるべく1つのコンビにで用を済ませたいと、誰かの“嫌いなもの”を避けて選ぶだろうな……と。つまり、合理性よりも相手の喜びを重視しているということなんですね。しかも相手の嫌いなものを覚えないのですから、その半端のなさに恐れ入りました。
「ありがとう! お父さんって、すごいな~ 」と、私。
「こんなことで喜んでもらえるなら本望だよ」と、夫。
ここで、『改定 廣池千九郎語録』の「5、道徳実行の方法」から一節をご紹介します。
――徳とは他人の心に喜びを与うることなり――
“相手の心に喜びを与えられることが自分の望みであり、自分の幸せでもある。そのために必要なことは、「相手の嫌いなもの」を避けて選ぶことより「相手の好きなもの」を求めに行くこと。だから、好きなものだけ知っていれば十分だ”と、
そう夫から教えてもらった出来事です。とても素敵な人です。