人の「思い」を受けとめる ~道徳授業で使えるエピソード~
私たちは、日々、多くの人たちと関わり合って生活しています。
そうした中で、「自分の思い」にとらわれすぎて、相手のことを誤解したり、相手の思いを受けとめられなくなったりしていることはないでしょうか。
■職場の雰囲気が悪くなる
東京郊外の食品卸会社で営業課長を務める高井宏さん(42歳)は、事業の第一線で多忙な日々を送っています。
高井さんは最近、直属の部下である松田さん(主任・33歳)の様子が気になっています。若い部下に対して「これくらいのことはできないと困るよ」とか、「そんなに難しいことじゃないのに……」などと口走り、いら立ちぎみです。そのため、部下も萎縮しているように見えます。
“このままでは職場の雰囲気が悪くなってしまう。なんとか松田君に注意をしなければ……”
そんな思いにかられた高井さんは、ある日の終業時刻が近づいたころ、松田さんに声をかけ、翌日の昼食を一緒にとる約束をしました。
その日、高井さんは“明日はどう話を切り出そうか”と考えながら帰宅することになりました
■一方的な見方で対応しても……
高井さんが帰宅すると、妻の和美さんが長男の陽介君(中学一年生)を叱っているところでした。
和美さんのお説教は、高井さんの帰宅前から続いていたようでした。陽介君は面倒くさそうに「もう、分かったから」と言うばかりです。
〝あまり一方的に叱っても、子供は聞く耳を持たないだろう〟
そう思った高井さんは、とっさに口を挟みました。
「もう少し優しく言ってやったら?」
和美さんは、高井さんの言葉に口をつぐみました。すると陽介君は、そのすきに「分かったよ」と言い置いて、自分の部屋へ戻っていきました。
二人きりになった後、和美さんは高井さんに向かって言いました。
「あなたはいつも正論ばっかりね……。確かにあなたの言うことも正しいと思います。でも、あなたは私が陽介を叱らなければならなかった事情も聞かないで、表面に出ている私の態度だけを見て批判している」
「だって、あまりにも一方的に見えたから……」
高井さんの言葉に、和美さんは強い口調で反問しました。
「そう言うあなたのほうこそ、一方的じゃないの」
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事の発端は、買ったばかりのノートパソコンをめぐるものだったようです。居間で次男の健太君(小学五年生)がパソコンを使っていたところ、陽介君が横からあれこれと手出しをして、データがおかしくなったというのです。
健太君は「お兄ちゃんのせいで……」と責め、陽介君はばつが悪そうにしながらも「おまえが困っていたから、手伝ってやったんじゃないか」と言って、自分の非を認めません。
口論がエスカレートしてきて、和美さんが仲裁に入ったとき、陽介君が「なんだよ! お母さんにはカンケーねえじゃん」と言ったというのです。それで和美さんは、陽介君の乱暴な言葉づかいを注意していたのでした。
高井さんはそのいきさつを知らずに、自分の一方的な判断で和美さんを責めてしまったわけです。
あらためて和美さんから事情を聞いた高井さんは、以前、上司から受けた「熱心の幣」についてのアドバイスを思い出しました。
■熱心さも弊害を生むことがある
「熱心の弊」とは、総合人間学モラロジー(道徳科学)の創建者・廣池千九郎(法学博士、一八六六・一九三八)が、みずからの日記に残した言葉です。
一般に「熱心」「真面目」「一生懸命」などは美徳とされます。確かに、仕事をはじめとする有意義な活動に対して熱心に、そして懸命に取り組むことは、よいことに違いありません。しかし「熱心さも度を越すと、弊害が生じる」というのです。
人は物事に熱心に取り組んでいるときほど、他人が自分より熱心ではないように見えて、その相手を責めたり、とがめたりする気持ちになりやすいものです。また、自分とは考え方や歩調が異なる人を受け入れる心の余裕を失って、もめごとを起こしやすくなります。こうして自分が努力をすればするほど、他人を責めたり、他人に熱心さを強要したりして、不快な思いを抱かせることがあるという話でした。
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その話を思い出した高井さんは、和美さんの立場を十分に考えず、一方的に決めつけていたことを反省しました。そして職場のことを思い返し、〝松田君にも何かしら、思うところがあるのかもしれないな……。明日は彼の話をよく聴くようにしよう〟と思うのでした。
■もっともっと「聴く」
翌日の昼、会社近くのレストランで食事をする高井さんと松田さんの姿がありました。
「急に付き合わせて、すまなかったね」と高井さん。
「いえ、何かあったんでしょうか」
「業務のことは定期的な報告を受けているし、本当によくやってくれて、ありがたいと思っているよ。だけど最近の松田君を見ていると、何か張り詰めているようにも感じたものだから……」
「そうですか……」
松田さんはそう言うと、ぽつりぽつりと自分の思いを打ち明け始めました。
昨年、初めて主任という立場になった松田さんは、“自分がしっかりしなければ”という思いから、部下に対しても、知らず知らずのうちに厳しく当たってしまっていたようです。仕事熱心な人だけに、みずから先頭に立って営業努力を続けていましたが、思うようにいかないときもあります。そんなとき、部下に対して“もっとできるはずだ”という思いを抱き、イライラを募らせていたのです。
「そうだったのか……。考えてみると、これまでの私は報告書に表れる数字ばかりを重視して、それを達成するまでのみんなの苦労や思いに耳を傾けることが少なかったような気がするよ。松田君たちのそういう思いを、もっともっと聴くべきだったね」
高井さんはそう言うと、かつて自分が上司から受けたアドバイスについて話しました。
「課長にも、そういうことがあったんですか……。私にも〝自分に間違いはない〟という自負や、部下に自分と同じだけの頑張りを強要する気持ちがあったのかもしれません。これからは、仕入先や取引先のご要望をよく聴くことはもちろんですが、職場の仲間の意見や思いをもっと聴くようにします」
そう話す松田さんに、高井さんは「よいことも悪いことも独り占めしないで、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)をいっそう心がけていきたいね」と伝えました。
■「思いやり」の第一歩」
私たちは、人と人とのつながりの中で、他の人に支えられていると同時に、他の人を支えている存在でもあります。
そうした中で「よりよい人間関係を築くために必要な心づかい」とは、何より相手に対する「思いやりの心」です。そして「思いやりの心」を持つためには、その人の思いを受けとめ、それを正しく理解することが不可欠でしょう。
たとえ正しい忠告をする場合でも、相手の立場を考えない一方的な対応では、ただうるさく感じられるだけで、大切なことが伝わらないばかりか、互いの関係にひびが入ってしまうことにもなりかねません。「相手は何を考えているのか」「どんな気持ちか」「何を求めているのか」を、まず自分の心を無にして聴き、その人の考え方や感じ方に思いを寄せることが、「思いやり」の第一歩となります。
どのような気持ちで人に接し、どのような心で人とつながっていくか――そうした私たちの考え方や行動が、人間関係をよくも悪くもしていきます。人間関係がよくなれば、自分自身にとっても周りの人々にとっても安心と喜びのある生活が生まれてくることでしょう。
(『ニューモラル』570号より)