「ありがとう」を数えてみよう
最近、どんなときに「ありがとう」という言葉を使いましたか?日常生活を振り返って、こんなことを考えてみる授業はいかがでしょうか。9月の第3月曜日に迎える「敬老の日」を前に「恩」ということについて、あらためて深く考えてみませんか。
■「有り難いこと」に気づく――39個の「ありがとう」
ある学校の道徳の授業で、実際に使われたテーマです。
「39個の『ありがとう』」
これは自分自身の日常生活の中で「ありがとう」と言える事柄を見つけ出し、各自39個書き出してみようというワーク。授業を考えた先生に、その意図を尋ねると「サンキューだから39個」とのことでした。……なるほど。
日常の中にある「ありがたいこと」。こんな問いを投げかけられたら、誰かに何かをしてもらったり助けてもらったりした場面を、具体的に思い浮かべる人もいるでしょう。しかし、39個の記入欄を埋めるために考えを深めていくと「家族や友だちがいてくれること」「電気やガス、水道などのライフラインがあること」など、ふだんは「当たり前」と思っている事柄の中にもっとたくさんの「ありがたいこと」がひそんでいることに気づくかもしれません。
「ありがたい」とは、漢字では「有り難い」と書きます。それは「そう有ることが難しい」ということ。つまり、本来は「めったにないほどすばらしいこと」に感謝する気持ちが込められた言葉なのです。
■「恩」を感じる――「原因」を「心」にとどめる
私たちは、他の人から直接的に受けた厚意に対してはすぐに「ありがとう」という言葉を返すことができるでしょう。しかし、ふだんから当たり前のようにお世話になっている相手やいつも身の回りにあって、その存在を当然のように感じている物事の恩恵については、つい、その「ありがたさ」を忘れてしまいがちです。
「恩」という漢字は、「因」と「心」とでできています。因には「もと」や「原因」という意味がありますから、ここに心が加わると「原因を心にとどめる」といった意味になるでしょう。つまり「恩を感じること」とは、現在起こっている出来事の原因や物事の成り立ちに気づき、その「ありがたさ」を感じることであるといえます。
「現在の自分の生活」に関して、その成り立ちを考えるとき、忘れてはならないことは、まず自分に「いのち」を与えてくれた親や祖先の存在です。さらには誕生後も、家族だけでなく、近所の大人や学校の先生など多くの人たちのお世話になってきたことでしょう。基本的な生活習慣や人間関係の築き方、物事の善悪や社会の決まりごとなどもすべて、そうした身近な「人生の先輩たち」とのふれあいの中で自然に学んでいくものです。
そして、現代の暮らしに不可欠なライフラインやサービス、社会制度などももとをたどれば、先人たちが長い年月の中で「子供や孫たちの世代に今より少しでもよい暮らしを残せるように」という願いを込めて整備してきたものです。つまり、私たちは「同じ時代に生きる人たちも前の時代を生きた人たちも含めて、無数の先人たちが心を傾けて築いてきたこの社会の中で、大切に養い育てられてきた」ともいえるでしょう。
そうしたことを考えるとき、自分という存在や現在の自分の生活が「かけがえのないもの」であることに気づき、心の中に温かい力が湧いてくるのではないでしょうか。
■敬老――「恩返し」と「恩送り」
9月に迎える「敬老の日」は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」です。
今、私たちが身近に接することのできる両親や祖父母、 地域のお年寄りたちは歴史の中に存在する数限りない恩人たちの代表です。こうした人たちとの温かいふれあいを通じて「いのちの存続と社会の発展のために、私たちに先んじて貢献してきた先輩世代」への尊敬と感謝の念を育んでいくことは、「敬老」の意義の一つです。
また、私たちは、多くの先人たちから受け継いだ「いのち」と「心」、さらには「社会」を次の世代へつないでいくという使命を帯びた存在でもあります。
自分が受けてきた恩恵について考えるとき、そこには「直接的に返すことのできない恩」も「返しきれないほど大きな恩」もあるでしょう。しかし、先人たちの苦労や努力を思い、自分自身もこれに倣って社会の発展のために尽くしていくことは、先人に対する「恩返し」の一つの方法といえるのではないでしょうか。さらに「自分がいただいた恩を次代に送る」という意味では「恩送り」ともいうことができます。
さまざまな恩人との「つながり」を思い、これに感謝するとともに自分自身もまた、今の社会や次の世代に対する責任を果たしていくこと。それは、私たち自身が自分の人生をしっかりと歩んでいくための道でもあるのです。
(『ニューモラル』平成28年 全国敬老キャンペーン特別号より)