「伊勢神宮」を訪れるたびに感じること。「伊勢神宮」って、どんなところ?
日本のすばらしい歴史や文化を今一度見つめ直せる場所。「伊勢神宮」
昨年の3月下旬、久しぶりに「伊勢神宮」を参拝しました。
早朝、伊勢神宮の宇治橋を渡った私は、大きな鳥居をくぐり、松の樹木を右手に、さらに歩みを進め、五十鈴川のほとりに出ました。神宮の清らかな流れに手を潤すと、心地よい冷たさが手に伝わり、心身ともに洗われる思いがしました。
奥・正宮方面へ進むと巨木のスギの間から太陽の木漏れ日が帯をなして差し込んでいました。荘厳なまでに感じる澄んだ空気で、すがすがしさを感じました。
「よくいらっしゃいました」と、神宮の森が迎えてくれているようでもありました。
参道に敷かれた玉砂利を踏む「ざっ」「ざっ」という音が、実に心地よく耳に響きます。
さらに奥へと突き進み、左手の石段を上ると、正面に正宮が……。
正宮の前で心を鎮めて「2礼2拍手1礼」。「日本人である」ことの幸せを実感するひと時でした。
「外宮」「内宮」、2つの正宮がある「伊勢神宮」
伊勢神宮には
【外宮】:衣食住の守り神である豊受大神をお祀りしている豊受大神宮
【内宮】:日本の祖先につながる神・天照大神をお祀りしている皇大神宮
の2つの正宮があり、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが、一般的に正しいとされています。
そして、神宮は何といっても、日本の伝統と文化が約2000年にわたり継承されており、日本の美しき文化と日本の心の原点があるといいます。
「伊勢神宮」。日本の心の原点とは?
この伊勢神宮に関する記事が『ニューモラル 心を育てる言葉366日』(292ページ)に“日本人の美しい生き方”の表題で掲載されていますので、ご紹介します。
―― 日本人は古来、日本の美しい自然を愛してきました。そして「大いなるものに生かされている」と感じ、神仏を畏れ敬い、自然と共生してきました。
一つの国の伝統と文化は、長い歴史を通じて受け継がれてきたものであり、不思議とその民族を象徴します。私たちの祖先がどのような自然観や死生観を持っていたか、また、どのような想像力を持ち、何を尊び、何を畏れ敬ったかを、日本の伝統と文化の中に見ることができるのです。「日本人の心のよりどころ」として約2000年の時を刻んできた伊勢の神宮の催事などは、その最たるものといえるでしょう――
さらに、次のページには“式年遷宮に込められた祈り”としての記事が続きます。
―― 三重県の伊勢の神宮では20年に1度、社殿や神宝等のすべてをまったく同じ姿を保ってつくり改めるという「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が、約1300年前から続けられています。(中略)
神宮は20年ごとにみずみずしく蘇り、いつの時代にも生き生きと存在するのです。日本の国がいつまでも若々しく、永遠に発展していくようにとの願いを込めて、神のお住まいを20年ごとに建て替え、新しい息吹を吹き込んできた日本民族の知恵と精神のすばらしさがここにあります。
太古の日本人は、式年遷宮を通じて神様に若返っていただいて、よりすばらしい時代が迎えられるように祈ったのではないでしょうか――
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直近では7年前の平成25年に、第62回 神宮式年遷宮が執り行われました。伊勢神宮ではこのほかにも、「神嘗祭(かんなめさい)」など年中行事として行われている祭事や、毎日行われている「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」のお祭りもあり、その一つひとつに、神仏を畏れ敬い自然と共生してきた「日本の心の原点」が表れています。
「伊勢神宮」の年中行事でいちばん大事なお祭り。「神嘗祭」
山中隆雄先生(モラロジー研究所参与)の著書『日本の心を伝える伊勢の神宮』によると
―― 神嘗祭は、新穀を大神に奉り、ご神徳に奉謝申し上げるお祭りです。つまり天照大神から託されたお米を、毎年約束どおりに稔らせて、感謝を込めて捧げる報恩感謝の大祭です。
「今年も稲穂ができました。これで一年間、日本人が命をつながらせていただきます。ありがとうございました。稲穂をくださいました天照大神さまがいちばん先にお上がりください」と言って、新しいお米をご飯にして神さまに召し上がっていただくのです。(中略)
神嘗祭に至るまでには、2月の祈年祭から始まって大きな祭りだけでも13のお祭りが行われます――
(62~65ページ 抜粋)
一日も絶えることなく、1500年続く「日別朝夕大御饌祭」
山中隆雄先生の同じ著書には、次のように記載されています。
―― この「日別朝夕大御饌祭」の大切なことを知って、和歌に詠んだ日本人を2人取り上げましょう。1人は本居宣長です。宣長は今から約270年前、この「日別朝夕大御饌祭」という、毎日欠かさず続けられている祭りに注目し、次のように詠んでいます。
この歌の意味は、「お伊勢さんの豊受さんで、日本国民が今日一日、食べ物で不自由のないようにという祈りが、1500年間、毎朝毎夕行われている。だから我々はこうして今日も食事を頂ける。ご皇室をはじめ、多くの神様にお守りいただいて、このように幸せに生活させていただけるということはもったいないことで、このご恩を忘れてはいけない」というものです。
もう一人は、江戸時代末期の歌人・橘 曙覧(たちばな あけみ)です。彼は正岡子規が絶賛した歌人で、文久元年(1861年)の外宮参拝の折、
という歌を残しています。これは、「たとえ一日でもご飯を食べられなかったら大変なことなのに、毎日ご飯をいただける。そのご恩を思うと、あまりにもありがたくて身の毛がよだち、ぞーっとする」という意味です。(中略)
このお祭りは外宮だけで行われており、私の知っているだけでも、戦時中、空襲で焼夷弾がたくさん落とされた次の日の朝も、伊勢湾台風の翌朝も、その他多くの苦節の折も、欠かさず毎日行われてきているのです――(73ページ~75ページ)
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訪れるたび、「日本人である」ことの幸せを実感する「伊勢神宮」
先人、先輩のこれまで築いてこられた日本のすばらしい歴史や文化を、今一度見つめ直し、神宮についての新たな知識を得て、再度、訪れたいと思います。