恩師に会いたい

 こんにちは。当財団の情報誌『所報』担当の加島です。
 最近、出身高校の同窓会報が送付されてきました。恩師であるT先生の執筆を拝読していたら、ふと、お声が聞きたくなってしまいました。

 会報のなかで、私の高校2年次の担任のT先生が、お写真とともにOB教師として執筆されていました。現代国語と書道のご指導をいただき、個人的にも忘れられない恩師の一人です。私の息子の受験時に付き添った際にも、私の顔を見るなり声をかけていただきました。

 失礼ながらお写真からは、お年を召されたなというのが、率直な感想です。当方の頭髪のグレーがだんだん白に近づいているのだから、当たり前の話です。

 T先生の執筆本文から、担任当時の先生は大学新卒3年目であったことが分かりました。
 その文中で、ご自身が教職に捧げられた半生がまことに幸せであったことを語られながら、かけだしのころ、先輩教師からいただいた指導について多くの紙幅をさかれ、感謝の言葉を重ねられています。

 ひるがえって、私がかつて編集の一部を担当させていただいた『歴史のいのち』『続 歴史のいのち』の著者・占部賢志先生は、その著『教育は国家百年の大計』において、次のように述べられています。

―― この国の教育の行方を考えるたびに、かつて評論家の小林秀雄氏が語った言葉が懐かしい肉声と共に甦ることがあります。こういう内容でした。

「教育の時局問題など、いずれ片付くところに片付く。しかし根本問題が片付くわけではない。要は一人の本物の教師が出現するほかにないのだ。自分の教え子を弟子が継いでくれるというほど不思議なことはない。教師の魂が教え子の魂にうつるのだから……。そこに教育の原理がある」 ――

 

 

 新型コロナウイルスがいつ収束するかわからないなかで、あらゆる分野がそれまでの姿を大きく変えなければならない重大な時局をむかえています。オンラインとリアルの両方を、しかも迅速に進めなければいけません。それは教育においても、しかり。手ごたえを探りながらの新しい挑戦です。

 どんなに難しい時局でも、教育の原理は変わらない。
 小林秀雄氏の言葉に、そのようなことを思いました。むしろ、難しい局面にこそ、本物が現われやすいのかもしれません。

この時局、教育の行方を考えるに、恩師のT先生なら、どのようにお考えになるのだろうか……?
久しぶりに語り合ってみたいと思いました。