「ありがとう」は幸せのもと
私たちは、日常生活の中で起こる出来事や物事に対して「楽しい」「ありがたい」「嬉しい」「悲しい」「つらい」「苦しい」といったさまざまな心を働かせながら生活しています。
また、同じ出来事であっても、その心の働き(受け止め方や感じ方)は一人ひとり異なります。そうした心の働きが、私たちの人生に及ぼす影響は決して小さなものではありません。
今回は、感謝の心と幸福の関係について考えます。
■かかってきたお礼の電話
早川真由美さん(52歳)が、町の対面朗読サークル「せせらぎ」に入って5年がたちました。「せせらぎ」の主な活動は、町内に住む文字が読みづらい高齢者や目の不自由な人などの要望に応えて、本や雑誌、町の広報誌などの読み聞かせを行うボランティアです。活動は月2回で、メンバーは現在12名。真由美さんは去年から会長を務めています。
そんなある日のこと、真由美さんの自宅の電話が鳴りました。電話の相手は、高橋絹江さん(75歳)。いつも対面朗読を楽しみにしている1人です。高橋さんは、ご主人と2人暮らし。生まれつき視力が弱く、今では文字が微かに見える程度です。
「はい、早川です。……あっ高橋さん、先日はお疲れ様でした。とても楽しい一日でしたね」
「この前は紅葉狩りに連れて行ってくださって、ありがとうございました。いつも『せせらぎ』の皆さん方に優しくしていただいて、本当に感謝しています」
高橋さんの明るい声が響きます。
先日の日曜日は、「せせらぎ」のメンバーと対面朗読の利用者との親睦を兼ねて、隣町にある県民の森へ紅葉狩りに行き、高橋さんも参加したのでした。
■心を打たれる高橋さんの姿
真由美さんと高橋さんとの出会いは5年前。真由美さんがサークルに入って、初めて対面朗読を担当した相手が高橋さんでした。高橋さんはとても明るく話好き。周りの人をいつも笑顔にしてくれます。そして、白杖を手に電車やバスを乗り継いで、どこへでも一人で出かけていく行動的な一面もあります。
何よりも真由美さんが「高橋さんって、素敵!」と感じるのは、どんな小さなことにも感謝できるその感性豊かな人柄です。紅葉狩りに出かけた日もそうでした。自動車の乗降のとき、ベンチに腰をかけるとき、お弁当を食べるとき、そのほか、ほんの些細なことにでも、高橋さんの口からごく自然に「ありがとう」の言葉がこぼれます。それが高橋さんの〝いつも〟の姿なのです。その姿に、真由美さんは心を打たれるのです。
■「ありがとう」を気軽に口に出そう
「ありがとう」は、私たちが感謝の気持ちを表すときの言葉です。この言葉は、年齢を問わず、誰もが気軽に口に出したり、耳にしたりする言葉のようですが、実は意外とそうではないようです。東海大学医学部精神科教授の保坂隆さんは、その著書の中で次のように述べています。
――もっと気軽に、もっと頻繁に口にしたい言葉が「ありがとう」である。(中略)
エレベーターがちょうど閉まりかかっていた。息せききって駆け込んできたあなたを見て、誰かが「開」ボタンを押して、あなたが乗るのを待ってくれた。こんなとき、「あ、すみません」といっていないだろうか。
こういう場合は、「すみません」ではなく、「ありがとう」というほうがずっといい。
「すみません」は、「気遣いさせてしまって申し訳ない」というネガティブな感情になるが、「ありがとう」ならば、「待っていてくれて、本当にうれしいです」とぐっとポジティブな感情が湧き出てくる。(中略)
宅配便が届いた。仕事とはいえ、暑いなか、あるいは寒いなか、重い荷物を届けてくれたのだ。「ありがとう」と言葉をかけてみよう。その瞬間、届いた荷物まで、うれしいものに思えてくるのではないだろうか。
飲食店で頼んだものがテーブルに並べられた。そんなときも、黙ってそれを見ているよりも、「ありがとう」といってみよう。
帰るときも、もちろん、「ありがとう。おいしかったわ」と言葉にする。すると、おいしいものを食べた満足感がさらに大きく深いものに変わり、心の底から、おいしい食事を楽しんだ満足感がこみ上げてくるのだ。
「すみません」をできるだけ減らし、「ありがとう」をもっと増やす。これだけで、あなたは、誰に対しても、なごやかで、温かな気持ちを持つことができるようになる――
(『平常心――人間関係で疲れないコツ』中公新書ラクレ)
私たちは、日常生活の中で、感謝の気持ちをどれほど表しているでしょうか。保坂さんは、感謝の気持ちを表す「ありがとう」の言葉は、お互いを心地よくする魔法のような言葉であると言っています。
私たちはひとり孤立して生きているのではありません。家族や職場、社会の中でお互いに助け、支え合いながら、多くの恵みを受けて生きています。その中に、実に多くの「感謝のたね」を見つけることができるはずです。そして、そのたねに対して積極的に感謝の心を表していくことが、今まで以上に喜びの多い幸福な人生を築いていく秘訣ではないでしょうか。
毎日の生活の中で、たとえ小さなことでも「感謝のたね」を見つけましょう。そして積極的に「ありがとう」の感謝の言葉を使いませんか。すると、喜び=幸せが確実に増えていきます。その積み重ねの上にこそ、何物にも代えることができない〝人生の幸福〟が実現すると言えるでしょう。
(『ニューモラル』482号)