「親に心を向ける」~道徳授業で使えるエピソード~
私たちは、母親のおなかにいるときから、親と深くかかわりを持ちます。そして、生まれてから今日まで、最も大きな影響を受けるのも親という存在です。
私たちは、親の温かい愛情に包まれながら、素直になったり、時には反抗したりしながら、成長していきます。「親の心子知らず」と言われるように、子どもにとって、親はあまりにも近い存在であるため、かえってその深い愛情になかなか気がつかないものです。
今回は、親を思う心について考えます。
■親に心を向ける
親は、最も身近な存在です。また、親といえども何らかの欠点をもった人間です。ですから、時に素直に心を開くことができないこともあるでしょう。
しかし、人生の困難に遭遇した際、両親の温かな笑顔が自然と思い出され、困難を乗り切る勇気を得たという人は、少なくありません。
私たちが、今日まで育ててくれた親の深い愛情に気づき、親の心につながって生きていくことは、“生きる力”を強くはぐくんでいくことになるのではないでしょうか。
たとえ、親と離れて暮らしていても、また、親がすでに亡くなっていたとしても、自分がどのように生きていくことが、親に安心と喜びを与えることになるのか考えること、こうした常に〝親に心を向ける心づかいと行為〟が、私たちの精神を安定させ、人生をより豊かなものにしていきます。
■母から学んだ亡き父の教え
法学博士の所功さんは、両親についての思いを、「母から学んだ亡き父の教え」と題して綴っています。
所功さんは、生まれて間もなく父親が戦死したため、母親の手一つで育てられました。
所さんは、大東亜(太平洋)戦争が勃発した昭和16年12月に生まれました。父親の久雄さんが招集されて出征するのは、その半年後のことです。そして1年後、南太平洋のソロモン群島で戦死しました。
当然、所さんには父親の記憶は全くありません。それでも所さんは、いつも父親の姿を身近に感じていたと言います。
それは、母親・かなさんの生き方、子育ての賜物でしょう。
――辛いことも悲しいことも多くあったにちがいないが、私の記憶に残る母は、いつも明るく楽天的であった。毎日毎晩「お父ちゃん、おはよう/お休み」と言い、外出のときも帰宅のときも必ず「お父ちゃん、行ってきます/ただいま」と言うのが、我が家の慣い。神棚と仏壇のある奥の間には、姿の見えない亡き父が常にいてくれると想えば、母も私も寂しくなかったのである。(中略)
亡き父は母と私から離れたことがない。そのため、母が幼い私を叱り励ます文句は決まっていた。「お父ちゃんみたいに死ぬ気でやれば、何でもできんことはない」「お父ちゃんは何時でも何処でも功を見守っているんやからな」と。そう言われると、私は必死に頑張る気力がわき、今でもベストを尽くせば父が助けてくれると素朴に信じている――。
母親の言葉を心に刻み、所さんは、小学校、中学校と、人一倍勉学に励みました。成績も良く、向学心に燃える所さんでしたが、義務教育を終えたら、進学しないで働くことを当然のように考えていました。それは、家の経済状態と母親の苦労を思ってのことでした。
しかし、担任の先生や周囲の大人たちは、熱心に進学を勧めました。所さんは、母親の励ましと亡き父親の存在に後押しされて高校進学を決意したのです。その後の大学進学の時も同じでした。
所さんが、常にベストを尽くし、人生を前向きに歩んで来られたのは、「母親を喜ばせたい。天国の父親にも喜んでもらいたい」という一念ではなかったでしょうか。所さんは、親を思う心に計り知れない力があることを感じたことでしょう。
■親との精神的な絆を問い直す
昔から「孝は百行の本なり」と言われています。これは、自分の生命を生み育ててくれた親・祖先に対する孝養こそ、あらゆる道徳実行の基本であることを教えたものです。
親が存在しなかったら、私たちはこの世に生を享けることはなかったでしょう。そして、父母の先には、祖父母が、さらにまた曾祖父母が存在しています。そこには、遠い過去から一筋につながる「いのちのつながり」があります。
親に心を向け、孝養を尽くしていくことは、連綿として受け継がれてきた「いのち」を見つめ直すことになります。と同時に、これからいのちをつないでいく自分の子どもや孫とのつながりを考えることでもあるのです。
昨今の親子関係や家庭問題から起こる悲しい事件や出来事が多発する現代だからこそ、私たちは自分の親との精神的な絆を今一度しっかりと問い直し、もし仮に問題があれば、お互いに思いやりの心を十分に発揮して話し合い、改善していくことが大切ではないでしょうか。
(『ニューモラル』454号)
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『ニューモラル読本 絆をはぐくむ』