子供の持ち味を認める ~ 道徳授業で使えるエピソード~

子供の幸せを祈るのは、すべての親の願いです。また、子供の将来に期待し、その行く末を案じるのも親の自然な感情でしょう。しかし、親は時に子供を思うがあまり、他人と比較して、心ない言葉をかけたり、冷たい態度を取ってしまうことがあります。

今回は、子供の成長を見守る大人の心がまえを考えます。

■子供の成長と幸せを祈る「七五三」

日本各地では、古くから、子供の成長を祝い、幸せを祈る伝統的な祭や風俗・慣習などが数多く残っています。
その中でも、「七五三」は、日本人であれば誰もが知っている風習です。男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の主に11月15日に、子供のこれまでの成長を祝い、さらなる今後の成長と幸せを祈念して神社・氏神などに詣でる年中行事です。
乳幼児の死亡率が高かった昔は、7歳までの子供は神の子とされ、7歳になって初めて社会の一員として認められたそうです。七五三の行事は3歳の男女ともに「髪置き──髪を伸ばし始める」、5歳男子「袴着──はじめて袴をつける」、7歳女子「帯解き──帯を使い始める」のお祝いで、もともとは宮中や公家の行事でしたが、一般的に広く行われるようになり、明治時代になって現代の七五三として定着しました。
わが子の成長と幸せを祈る親や大人の思いは、いつの時代でも変わりがないようです。

■自己評価を下げる子供たち

ところが、新聞やテレビを見ると、毎日のように子供が被害に遭っている報道がなされています。親による虐待、異常者による暴行や殺人等々、子供たちの幸福に危険信号がともっていると言ったほうがいいような悲しい出来事が続出しています。
身近なところでは、学校の中や友だちの間で行われるいじめや差別が見過ごせません。子供のときにいじめや差別で受ける心の傷は、その子の自信や自尊心を奪い、その後の人生を狂わせてしまうかもしれなのです。
いじめや差別の怖いところは、被害を受けた子が自己評価を極端に下げてしまうことにあります。子供は自信を失い、自分の尊厳すら見失ってしまうこともあります。相手に抗議するどころか、深い無力感にとらわれて自分だけを責め、自己嫌悪に陥って人に相談する意欲さえなくしてしまう例も多いといいます。そして、不登校や引きこもり、ひいては自殺に至る子まで続出してしまうのです。

■すばらしい点を認めてあげる

そもそも、私たちはどうして人を比較してしまうのでしょうか。1人ひとりの顔が違うように、人間は1人ひとり性格も違うし、得意なことも苦手なことも違うし、好きなことも嫌いなことも違うはずです。比較するということは、そのように1人ひとり違う人間を、運動神経とか、偏差値とか、体の特徴とかという1点だけに絞り込み、比べて上下をつける(評価する)ということでしょう。
社会生活において、そのような評価が必要になる場合もあると思います。しかし、私たちは、それがわずかな一側面に過ぎないことを知るべきです。走るのが遅くても、すてきな絵を描く子もいますし、算数の成績が悪くても、人を感動させる詩を書く子だっているのです。
どんな子にもすばらしい点はあるものです。それを認めてあげるのが、子供へのいちばんのプレゼントではないでしょうか。

■認められることで人生が変わる

岐阜県に住む南修治さんは、ミュージシャンであり、子育て支援・環境保護コンサートなど、年間100か所以上のコンサートと150回以上の講演をこなしている方です。南さんも、若いときは比較されることで強い劣等感を抱き、非行に走ったといいます。
4人きょうだいの次男として育った南さんは、体も弱く、優秀な1歳違いの兄と弟に、勉強をはじめ何をやっても勝てなかったそうです。親の目は自分以外のきょうだいにしか向いていないように思え、「自分は親にとって必要のない人間、愛されていない人間だ」という強い劣等感を抱き、不満と怒りがたまっていきました。
中学・高校になるとそれが爆発し、家庭内での反抗、不登校となって現れ、不良仲間とつきあって酒やタバコ、シンナーにまで手を出し、オートバイを乗り回す毎日で、警察の世話にもなりました。
そして心を病んで引きこもりが始まり、入院して自殺さえも考えましたが、そんな南さんを救ってくれたのが音楽と奥さんでした。自分の気持ちをストレートに表現した歌を聞いて、奥さんは歌と南さんをありのまま受け入れてくれました。
「彼女はぼくを必要としてくれ、心の居場所を作ってくれたのです」と南さんはその心情を静かに語ります。
田舎暮らしで野菜を自給自足している南さんは、自分の作った小松菜にはスーパーのように値段がついていないことに気づき、こう思ったといいます。

「これまで僕は小松菜に値段を付けるようにすべてを価値付け、価値あることをやっていないと愛されないと思って生きてきたのではないか。優秀な兄は100点で僕は0点。兄には価値があって自分には価値がない。そんな価値付けをしてきたために劣等感に苦しんできたのだ」(『れいろう』平成16年3月号)

南さんはこうして自分を変え、不登校の子供たちや子育てに悩む母親たちの相談に乗るまでになったのです。認められ、受け入れられることが人間にとっていかに大切かを物語っている事例ではないでしょうか。

■子供の心の世界を認め、受容する

1人ひとりの人間は多様であり、さまざまな側面を持っています。誰1人として同じ人間はいません。皆、それぞれ独自の個性や持ち味を持っているのです。
家庭の中においても、親は、子供の自己評価を下げるような言動には気をつけて、つねに子供の持ち味を認めて、その能力や適性が十分生かされるように心を配ることが大切です。
私たち大人は、1人ひとりの子供の目線の向こうに見える世界を共に見つめたいものです。そのような支えがあってこそ、子供はその将来に向けて、大きく力強く羽ばたいて、自分の力を伸ばしていくことができるのです。

(『ニューモラル』447号)

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