先人の恩恵に支えられて ~ 道徳授業で使えるエピソード~
日本は今、世界でもっとも快適で便利な暮らしができる国の1つです。便利な暮らしは、たいへんありがたいことであると理屈ではわかっていても、「あたりまえ」すぎて、感謝や恩恵を感じる感覚が少しずつ失われていっているのかもしれません。
今回は「恩」について考えます。
■「与える木」
米国の作家・シェル・シルヴァスタインが書いた『The Giving Tree(与える木)』(邦訳『おおきな木』ほんだきんいちろう訳・篠崎書林)という物語をご存じでしょうか。
それは1人の男が子供から老人になるまでの間、リンゴの木との交流を描いた絵本です。内容は次のようなものです。
1本のリンゴの木が、少年のための遊び場になります。少年は木に登ったり、枝にぶら下がったり、リンゴの実を食べたりします。疲れたときは木陰で昼寝をしました。少年は木が好きで、木も嬉しく思っていました。時は流れて、少年は遊びに来なくなります。
ところが、ある日、成長した少年が木の前に現れます。木は以前のように遊ぶことを勧めますが、少年は、もうそんなことはできないと答えます。それよりも買い物がしたいので、「おかねがほしい」と言います。木はお金を持っていないから、「わたしのりんごをもぎとって、まちでうったらどうだろう」と提案します。少年はリンゴの実をすべて持って行きます。木はそれで嬉しかったのです。また、長い間、木は1人でした。
ある日、現れた少年はもう大人になっていました。以前のように遊ぶことを勧める木ですが、男は「ぼくにいえをくれるかい」と言います。木は「わたしのえだをきり、いえをたてることはできるはず」と言います。男は枝をすべて切って持ち去ります。それでも木は嬉しく思います。また、長い間、木は1人です。
再び、年をとった男が現れて、木に向かって「どこかとおくへゆきたい、おまえ、ふねをくれるかい」と言います。木は「わたしのみきをきりたおして、ふねをおつくり」と言います。そして、男は幹を切り倒して船を作って行ってしまいました。
長い年月が経ち、男は木のところに帰ってきました。切り株になってしまった木は何もあげられないことを謝ります。男は「わしはいまたいしてほしいものはない。すわってやすむしずかなばしょがありさえすれば。わしはもうつかれはてた」と言います。木は「このふるぼけたきりかぶが、こしかけてやすむのに、いちばんいい……。こしかけて、やすみなさい」と語りかけます。
男はその言葉に従って切り株の上に腰かけます。木は嬉しかったと言い、物語はそこで終わります。
■恩を知り、自分を見つめ直す
皆さんは、この物語をどのようにお感じになったでしょうか。
物語では、木は決して見返りを求めずに男の求めるものを提供しますが、男は木に対して1度も礼を言うことはありません。男は与えられることを「あたりまえ」と思っていて、いつも求め続けるだけです。男は「恩」を知ることができないようです。
「恩」を知るとは、現在の状態の原因が何であるかを心で深く考えることです。今、自分が受けている「恩」とは何か、それをみずからに問いかけることで、自分が置かれている状況が理解できるのです。
私たちは多くの恩恵を先人から贈られています。しかし、あまりにも豊かな生活の中で、それを「あたりまえ」と受けとめてしまっているのではないでしょうか。恩を知ることができない“男”は、私たちの心の中に存在しているのかもしれません。
次に紹介するのは、先人の苦労を知り、大きな恩恵を受けていることに気づいた男性の話です。
■列車の遅れにイライラして
会社員の池田さんが、東京駅から新幹線に乗って高校の同窓会に出かけようとしたときのことです。その日は珍しくダイヤが乱れ、池田さんはプラットホームに長く待たされました。
混雑するプラットホームでは、多くの人々が時計を見ながら、いらだっている様子です。中には駅員に食ってかかる人もいました。
池田さんも焦り、イライラして少し腹を立てました。結局、池田さんはかなり遅れて合流することができましたが、恩師や友人にずいぶん迷惑をかけてしまいました。
その夜の宴会のときのことです。池田さんは新幹線の遅れで迷惑をかけたことを詫びながらも、「日本の新幹線もまだまだだ」というような発言をしました。
すると、その話を聞いていた同級生の木村さんが「おまえ、新幹線が完成するまでの苦労を知っているのか」と強い口調で尋ねてきました。木村さんの父親は国鉄の時代から長くJRに勤めていたのでした。その場では言葉を濁した池田さんでしたが、木村さんのひと言が気になっていました。
■先人の苦労に気づく
翌日、池田さんは木村さんといっしょに新幹線に乗り、新幹線にまつわる話をいくつも聞きました。
新幹線が昭和39年に東京・大阪間で開通したことぐらいの知識しか持っていなかった池田さんは、東京駅から西へ延びる10キロ弱の工事区間の苦労話に、たいへん驚かされました。
その区間の1部の工事現場では、すでに数本の列車線路が敷かれていて、1日に約1800本もの列車がそのすぐそばを通過するという、たいへん危険な場所でした。工事期間中に大小100を超える事故があり、工事関係者7名の尊い犠牲があったことを知りました。また、それに続く区間は、建物が密集するため作業空間が狭く、そこでも9名の犠牲者があったことを教えられました。
やがて、池田さんたちを乗せた新幹線が速度を緩め東京駅に近づいたとき、木村さんが「今、話した工事区間はこの辺りからなんだ」と言いました。尊い犠牲の上に築かれた線路の上を通過するとき、池田さんは言い知れぬ思いに満たされました。
これまで何度も同じ場所を通過していたにもかかわらず、無知だったために何も感じることがなかった自分。そして、前日、列車が時間どおりに運行されるのは「あたりまえ」と思って、イライラして腹を立てていた自分をはずかしく感じました。
池田さんは、新幹線を開通させるため懸命に働いた多くの人々の姿を思い浮かべると、思わず心の中で“ありがたいなあ”とつぶやきました。それは、先人の苦労を知り、先人の恩恵を感じることでもありました。
同時に、果たして自分は、社会や人々のために役立つことを願って日々の仕事に取り組んでいるのだろうか、という思いも浮かんできました。
■恩に報いる
恩恵を感じるということは、今の自分たちが多くの先人のおかげで快適に便利な生活ができることに気づくことではないでしょうか。そして、過去から現在に続くつながりの中で自分がそうした先人の恩恵に支えられていることを実感することであると言えるでしょう。
多くの先人に対して直接に感謝の言葉を伝えることはできませんが、私たちが受けている恩恵に対して報いることは可能です。
先人の恩に気づき、その恩恵に報いる人間になれるように日々努力していきたいものです。
(『ニューモラル』438号より)