仕事帰りの電車の中で
こんにちは。オンラインショップ担当の小林です。
先日、夫が仕事帰りの出来事を話してくれました。
「今日、混んでいる電車の中で、俺の真後ろで喧嘩が始まったんだよ。どのタイミングで、どうやって止めに入ろうかなって、も~ドキドキしちゃったよ」と。
「えっ? 止めに入るって……。どんな喧嘩だったの? 」と、私。
「きっかけは、若い男性会社員の荷物が初老の男性に当たったことだった。初老の男性が『謝れ! 』って大声を出したが相手は謝らない。一触即発の雰囲気のなか、『次の駅で降りろ』と初老の男性が言うと、相手も『いいよ、降りてやるよ』って言うんだ。もう、大丈夫かな?って心配でさ」と、夫。
「2人は降りたの? 」と、私。
「それがね、駅に着く前に、初老の男性が『おい、お前。いったい何の仕事をしてるんだ? 』って突然聞いたんだ。相手は何かの専門用語を使って、その業界の営業だって答えた。オレには全く何を言ったのかわからなかったけど、初老の男性はその専門用語がすぐわかったようだ。初老の男性が職人で、若い男性が営業といった感じで、同じ業界だったのかな。そうして次の駅に着いた。オレはてっきり2人が降りると思ったんだけど、降りなかった。もう、人騒がせだよな……」と、夫。
「ひとまず、大事に至らなくて良かったじゃない」と、私。
夫はうなずくと、また話を始めました。
「まだ続きがあるんだ。大勢が乗り換えするような駅に着いても2人は乗ったままだった。そこで初老の男性が若い男性に『おい、お前。いったいどこまで乗るんだ? 』って話しかけた。その若い男性は『A駅だ』って答えたんだ。職業とか普段使う駅名とか、そういった個人情報を電車の中で、まして喧嘩するような相手に言って大丈夫なの? ってビックリだよ。
するとね、また思ってもみないことが起きた。初老の男性が『俺も一緒だ。その駅の西口だ』って言ったんだよ。若い男性も『俺も西口だ。じゃあ、降りたところの飲み屋を知ってるか? 』っていう具合に、そのまま2人は地元の話で大盛り上がり! ついには、若い男性が『このまま一緒に飲みに行こう』って、初老の男性を誘ったんだ。
結局、初老の男性にはこれから予定が入っていて途中下車して別れたけど、別れ際も『また会えたら飲もうな』って手を振ったりして。初めは一触即発の2人だったんだよ。そばで見ていたオレからすると、まるでコントを見せられているかのようでもあったけど、ずっと心配で目を話せなかった。本当に人騒がせだよな」と、苦笑いの夫でした。
たしかに、人騒がせな一件。夫のほかにも、ハラハラした方がいらっしゃるかもしれませんね。ただ、そんななかにも何か温かな余韻が残りました。
その温かさとは、初老の男性が相手に対し興味を持ち続けたこと。そして、若い男性も相手に正直であったことだと思うのです。その温かさが、やがては2人の共通点を引き出し、仲間意識を生み、結末を大きく変えたように思います。もし、無関心のまま接していたら、どうなっていたことでしょう……。
ここで、『ニューモラル 心を育てる言葉366日』の1月26日「人を変える“言葉の力”」をご紹介します。
――盤珪永硺禅師(ばんけいようたくぜんじ)(1622 ~ 1693)が弟子たちと一緒に修行していたとき、親から勘当された悪童が寺に入ってきました。寺に来てからも、その悪行は収まりません。弟子たちは、悪童を破門するよう師に願い出ました。しかし悪童は破門になる気配もなく、ますます悪事を働きます。やがて弟子たちは、ついに「彼を破門しないのなら、私たちが寺を出て行きます」と、師に詰め寄りました。
すると師は「そんなに言うのであれば、お前たちが寺を出て行きなさい。お前たちは寺を出ても立派にやっていけるが、彼は破門されたらもう行くところがない」と。
弟子たちは盤珪永硺禅師の深い思いやりに気づき、感激に震えました。この様子を陰から見ていた悪童は、その後、人が変わったように修行に励んだということです。
言葉に込められた深い思いには、人の心をも変える力があるのです――
『おい、お前。いったい何の仕事をしてるんだ? 』
大きな流れを変えたと思われる、初老の男性の言葉。そもそも相手に無関心であれば出てこないでしょうし、怒りに任せて否定的な言葉を使い相手を挑発するようなこともない初老の男性に、なんだか父性さえ感じてしまいます。