親を思う心 ~ 道徳授業で使えるエピソード~

親を大切にしているつもりの私たち。でも、親の本心はなかなか気づきにくいものです。

■元気がないのは年のせい?

ある日、山田健一さん(47歳)に、妹の博子さん(43歳)から電話がありました。
「最近お父さんのようすがどうも変なの。体は元気なんだけれど、気力がないみたいなの」
「親父に何か心配事でもあるのか」
「それが、もう店を閉めたいって。仕事するのがいやになってしまったみたいなのよ」

健一さんは、東京都内の金融機関に勤めるサラリーマン。奥さんと子供3人の5人家族です。実家のある静岡では、両親が自転車店を細々と続けながら暮らしています。妹の博子さんは実家の近くに嫁いだこともあって両親の近況をいろいろと報告してくれます。
「これまでさんざん働いてきたからな。親父ももう年だし、少しゆっくりすればいいよ」
「お母さんがすごく心配しているのよ。お父さんは仕事が生きがいで、これまで仕事しかしてこなかったでしょう。趣味もないお父さんが仕事をやめたら、何も残らないって」
「そうか、博子は近くに住んでいるんだから、できるだけ顔を出して、親父のようすを見てやってくれ」
「何よ、それ。電話するだけじゃなくて、もっとお父さんとお母さんのことを考えてあげてよ」
「考えてやっているだろう。就職してからずっと仕送りをしているし、出張に行ったときには土地の名物なんかを送っているだろう」
「お父さんもお母さんも、健一は経済的にも心配いらないし、いつもよく気を配ってくれているって、喜んでいるわ。でも、とにかくお父さんは元気がないのよ」
「分かった。ちょっと考えてみるよ」
そう言って電話を切ってから、何となく父親のことが気がかりでした。
健一さんには、両親のことを常に気にかけていて、それなりのことはやっているという自負がありました。

■現実の波の中で

父親の孝一さん(72歳)は、45年前に自転車店を開業しました。
自転車といえば需要も多く、まさに飛ぶように売れた時代がありましたが、10数年前から、店の経営は徐々に苦しくなっていきました。
特に、2年前、近くに大型のショッピングセンターができてからは、売上げは極端に落ち込み、孝一さんの店には、昔からのなじみ客が自転車の修理を持ち込むくらいになっていました。
そんなようすを母親から聞いていた健一さんは、父親もわずかな修理代を稼ぐだけの今の仕事がいやになったのだろうと思いました。
健一さんは、次の土日を利用して家族で帰省し、父親の思いをじっくり聞かせてもらおうと考えました。

■郷里の空気

家族そろって帰省するのは久しぶりのことでした。駅から実家に向かう途中、健一さんは自分の子供時代のことを思い出しました。
山田自転車店の前にあった空き地で、よく友だちとメンコやベーゴマをして遊びました。店先では、いつも父が働いていて、遊びに飽きると友だちと一緒に父親の仕事を見に行きました。話題はいつも自転車のことで、自分が乗りたい自転車の自慢話でした。店先には最新型の自転車が並び、かたわらでは白いつなぎを着た父親が働いていました。その手は油と鉄さびと泥で真っ黒に光っていました。
小学生だった自分が自慢げに、「僕も大きくなったら自転車屋さんになる。そしてみんなの大事な自転車が壊れたら直してやる」と話していたことを思い出していました。

■父の手

子供たちが寝静まったあと、両親と妻との4人で、子供たちの話で盛り上がりました。妻の話に目を細めている父親を前に、仕事の話を持ち出すことはできませんでした。
働き者の父、子煩悩だった父の姿が、健一さんの脳裏に次々とよみがえってきました。
電車が好きだった健一さんのために、毎朝肩車して、近くの踏み切りまで電車を見に連れて行ってくれたこと。運動会のかけっこで、転んで最下位になったとき、最後までよく頑張ったとほめてくれたこと。就職して初めてもらった給料の一部を渡すと、仏壇にお供えしてずっと手を合わせていたこと。そして、いつも油で汚れていた父の手……。
健一さんは、湯のみ茶碗を持つ父の手を見ました。父の手は節くれだって黒く汚れていました。それは、洗っても落ちることのない、染みついたものでした。
そんな父の手を見て、健一さんは心で何度もつぶやきました。
“ありがとう、この手で僕も妹も育ててもらったんだ”

■感謝の気持ちを贈る

両親が結婚して、今年で50年目。金婚式を迎えます。
金婚式の当日、2人を祝って、健一さんの家族5人と博子さんの家族4人が集まりました。子供や孫たちに囲まれて、とてもうれしそうです。
食事をはさんで、孫たちがそれぞれに工夫を凝らして作った数々の作品が贈られました。
最後に、健一さんと博子さんが並んで立ち、両親へのメッセージを読み上げました。

感謝状
お父さん、お母さん、金婚式おめでとうございます。
お2人そろって元気に結婚50年目を迎えることができたこと、心よりお祝い申し上げます。
この50年間は決して順調なものではありませんでした。しかしそうした中、お2人は祖父母によく孝養を尽くしてくれました。経済的に苦しい中でも、家族のために一生懸命に働いてくれました。私たちは、その後ろ姿を見て育ちました。
お2人の育てた子供は、おかげさまで今こうして元気に成長しました。お2人の貴重な50年の苦労、努力は、見事に実を結びました。これから先、さらに大きな大きな花を咲かせることでしょう。私たち子供と孫一同、お2人の人生をしっかり受け継ぎ、次の世代に伝えていきたいと思います。
お父さんの黒く汚れた手は私たちの誇りです。お母さんの優しい笑顔は、私たちの宝です。
お父さん、お母さん、本当にありがとうございました。これからも私たちの親として、祖父母として、精神的な拠り所であり続けてください。

■とり戻した「元気」

しばらくして、健一さんのもとに、母親から手紙が届きました。
――先日はあんなにまでしてもらって、ありがとう。お父さんもお母さんも、とてもうれしかった。いただいた感謝状は、毎日、お父さんと2人で繰り返し読み返しています。
お父さんとお母さんは、子供たちに恵まれました。これまで苦労してきたけれど、苦労してきてよかったと思っています。本当にありがとう。
お父さんは、だいぶ元気になりましたよ。あれ以来、仕事をやめたいというようなことはひと言もいいません。それどころか、大きな紙に「パンク、修理、何でもOK!」と書いて店頭に張り出しました。お客さんが来ると、とても楽しそうに仕事をしています。やはり自転車修理はお父さんの生きがいだったようです。きっと体が続く限りやっていくのでしょうね。お前たちも体にはくれぐれも気をつけて――
健一さんは、両親が心から喜んでくれたことが分かって、とても幸せな気持ちになりました。

■親の思いを受けとめる

人はだれでも自分の役割を認められてこそ生きがいを感じます。親もまた同じではないでしょうか。身体的・経済的には子の援助を受けているとしても、親として子に認められ続けることは、親の喜びです。
核家族化して、親と一緒に住むことが少なくなっている現代では、子は親の思いに気づきにくくなっています。
親を思う心を育てることは、私たち自身の心を成長させる大切な鍵といえるでしょう。

(『ニューモラル』401号より)

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