人はなぜ勉強するのか ~ 道徳授業で使えるエピソード~

もうすぐ新学期が始まります。今回は、勉強する意味について考えます。

■勉強するのは希望の学校に入るため?

ある日、藤井さんの家では久しぶりに家族そろって夕食を囲みました。長男の剛君(高校1年生)も、長女の茜さん(中学2年生)も、明日から中間テストが始まります。
「明日、数学のテストがあるっていうのに、二次関数なんて全然分からない。いったい何のためにこんなことやるんだろう」
と、茜さん。すると、剛君が、
「古典の文法なんかもっと無意味だよ。今使っていない昔の言葉の文法を覚えて、どうしようっていうのさ」
2人の会話を聞いていた父親が口を開きました。
「2人とも、どうして勉強するのか考えたことあるのか」
「いい大学に入って、いい職に就いて、いい生活をするためだろ。とにかく、明日テストだから……」
そう言って、剛君は自分の部屋に引きあげていきました。

■勉強するのはお金もうけをするため?

1か月後、剛君の高校で竹原茂さんの講演会が開かれました。
竹原さんは、旧名をウドム・ラタナヴォンと言い、1943年(昭和18年)、ラオスに生まれました。第2次世界大戦後、急速な成長を遂げた日本経済を学ぶため、昭和49年、日本に留学しました。ところが、翌年、ラオスで革命が起き、共産党政権が樹立されました。ラオス王国政府内の公務員でもあったラタナヴォンさんは、帰国を断念して日本に亡命し、日本国籍を取得して名前を竹原茂に改め、猛勉強をして大学教授にまでなりました。
竹原さんは次のように述べました。
「皆さんは、何のために勉強していますか。将来、お金もうけをするためですか。違うでしょ。地位や名誉を得るためですか。それも違うでしょ。
私の答えは『動物から人間になるため』です。人間は生まれたときは動物とあまり変わりません。でも、いろいろなことを勉強して、少しずつ人間になるんです。そのなかでも私はいい人間になりたいと思います。いい人間とは人の役に立つ人間です。人の役に立ち、世の中の役に立つ仕事をすると、やがてお金も入ってくる。だから、お金もうけをするために勉強するのではありません。勉強して、社会に役立ち、人が喜ぶいい仕事をすると自然にお金が入ってくるんです。
今の日本人は自分のためだけに勉強している人が多いような気がします。私は家族を助けたい、自分の国をよくしたい一心で日本に留学しました。戦後、奇跡的な経済復興を成し遂げた日本から多くのことを学んで、祖国ラオスの発展に力を尽くしたいと思ったのです。
ラオスには日本語を教える学校などなく、言葉には本当に苦労しました。(中略)
私はいつも教室の最前列に座り、先生の話を録音して繰り返し聞きました。そして、小さな黒板を注文して作ってもらい、漢字を何度も書いたり消したりして練習しました。それでもなかなか覚えられません。くじけそうになると、『日本に学んで、ラオスのために力を尽くすという目的を実現するんだ。そのために今ここでがんばっているんだ』と、何度も自分に言い聞かせました」

■いい人間になるために勉強する

剛君は「いい人間になるために勉強する」という言葉を聞いて、とても驚き、感動しました。
教室では次のような感想文が紹介されました。
「勉強熱心な竹原先生を見習って、僕も勉強を頑張ろうと思いました。自分ではけっこう勉強しているつもりでも、それはただの自己満足にすぎなかったと反省するいい機会だったと思います。これから学んでいくさまざまなことを家族・友人のために、大きく言えば社会のために使っていこうと思います」
友だちがこんなにしっかりしたことを書いているのを知って、剛君はびっくりしました。
この友だちは、「父のことを尊敬していて、将来は父のような薬剤師になりたいと思っている。単にカルテどおりに薬を調合するだけではなくて、患者さんとコミュニケーションをとりながら、薬の飲み方や健康管理についても話せるような薬剤師になりたい」と、話してくれました。彼は、薬剤師としての理想の姿まで思い描いていたのです。
このことがあってから、剛君は「いい人間になる」とはどういうことか考えるようになりました。
「いい人間」とは、人や社会のために役に立つ人間、自分の力や才能を生かして社会に貢献できる人間のことだ。それなら、自分の才能とか、他の人にはない独特の持ち味とはいったいなんだろう。

■本気を出さないから迷う

3学期は、文系コースか理系コースを決める決断の時期です。剛君は文系コースに決め、美術系の大学に進学しようと考えました。小学生のころから絵に興味があり、古い美術品の修復をする仕事がしたいと思ったからです。
剛君は、週1日美術研究所(美大受験のための予備校)に通い、基礎的な勉強を始めました。しかし、自分には才能があるのか、美大に合格できるのか、合格したとしても一生の仕事としてやっていけるのか、常に不安がつきまといました。
そこで、美術研究所の先生に今の気持ちを打ち明けると、先生は次のように答えました。
「本気を出してやってないから、いつまでも迷うんだ。本気を出してやったら結果はついてくる」
話はそれだけでした。
2年生の夏休みに入ると、剛君は毎日、美術研究所に通い、ひたすらデッサンを描き続けました。朝9時から夕方6時まで、硬い椅子に座り、石膏像に向かい鉛筆を走らせます。竹原先生が日本語と格闘していた努力を思い出しながら、自分の中に隠れている才能をつかみだそうと必死でした。

■分かるためには全力でぶつかる

2か月後、自分なりに納得できる作品が仕上がり、美大に進学する決意を固めました。迷いを振り切って全力でぶつかったときに、進むべき道が見えてきたのです。
長年、青少年の教育に携わってきた故・岩橋文吉さん(元九州大学名誉教授)は、次のように述べています。
「もしあなたが青少年ならば学校で習う国語、数学、社会、理科をはじめ芸術、体育、総合学習などに至る各教科目に、全力を挙げて取り組んで自分を試してみることが大切です。そうすることによって、自分の得意な分野、あるいは好きな分野がどこにあるのかがわかってきます。というのは、各教科目の中身は人類文化の各分野そのものですから、取り組んでみると得意な分野、好きな分野、つまり持ち味に適合する分野がどこにあるかがわかってくるからです。(中略)ここで大切なのは、わかるためには全力でぶつかるということです。中途半端なぶつかり方では中途半端にしかわからないからです」(『人はなぜ勉強するのか―千秋の人𠮷田松陰』モラロジー研究所)

■自分の内にある純金を磨き上げる

さらに、幕末の激動の時代に多くの人材を育てた𠮷田松陰の事績から次のようにも述べています。
「松陰は、人はどんな人でも真実な人生を生きるために学問・勉学をすべきであるとの主張に立っていましたが、その主張は、天が各人すべてに授けた『天性』を確信し、これを尊重することに基づいていました。(中略)松陰はまたこの天性を純金にたとえ、人は誰でもその内面に天性の純金を含んだ金の鉱石のようだと説いています。人は誰でも尊ばれねばならないのは、それがただの石ころではなく内面に純金を含んだ金の鉱石だからです」
私たちは、自分の内にある純金を自分の手で探し出し、それを一生かけて磨き上げ、その輝きを社会のため、人のために役立たせていきたいものです。

(『ニューモラル』465号より)

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