実りある“善意” ~ 道徳授業で使えるエピソード~
私たちは日常生活において、誰かのためを思って行動することがよくあります。その結果、お互いの関係がよくなることもありますが、時にはちょっとした行き違いやタイミングの悪さから、相手を不快な気持ちにさせてしまい、ギスギスとした空気が残る場合もあります。
今回は、他人に善意を向ける際の心づかいについて考えます。
■よいことをしたのに……
ある日の夕方、和也さん(17歳)が高校から帰宅する途中のことでした。駅の改札を抜けて自転車置き場に向かい、自分の自転車にまたがった、そのときです。
「ガシャガシャ!」
音がしたほうに目を向けると、出口付近で5、6台の自転車が将棋倒しになっています。そばを通った中年の男性が、自分の自転車のハンドルを引っかけたようです。ところが、男性は倒れた自転車を起こそうともせず、逃げるように道路へと走り出していきました。
和也さんは“ひどい人がいるもんだなあ”と思いながら、1台ずつ起こしていきました。そして、最後の1台に手をかけたとき、背後から女性のするどい声が聞こえました。
「何をしているんですか!」
振り返ると、買い物袋を提げた年輩の女性が、和也さんをにらみつけています。
「え? いや、何をって自転車を……」
和也さんが言いよどむと、その女性は「それ、私の自転車ですよ。勝手に触らないでください。係の人を呼びますよ」と、和也さんを犯罪者と決めつけるようなことを言います。
和也さんは、他の人が自転車を将棋倒しにしたこと、そのままにしておくのは忍びなかったので起こしていたことなどを、ようやく説明することができました。すると、女性は一瞬、バツの悪そうな表情を浮かべましたが、「だったら、早くちゃんと説明しなさいよ」と言って、荷台のかごに買い物袋を放り込むと去っていきました。
ぽつねんとその場に残された和也さんは「参ったなぁ、なんなんだろう、あの人は」と、つぶやきました。
■「悪い人じゃないかもしれないよ」
その日、夕食のテーブルについた和也さんは、両親に自転車置き場での出来事を話しました。
「いいことをしたのに、こんなのってないよ。あんなふうに言われたら、誰だって腹が立つよ」
母親は、「それは災難だったわね。せっかくいいことをしたのに、残念なことになっちゃったわね」と言いました。
すると、父親がこう続けます。
「そうだな。和也は悪くないと思うよ。文句の1つも言いたかっただろうけど、自分の正しさを押し通そうとして相手を責めたりしたら、かえって話がこじれたかもしれないよ。善意で行動しても、それが他の人にうまく伝わらないことは、よくあることなんだ。それと、その女性も悪い人じゃないかもしれないよ」
思いがけないお父さんの言葉に、和也さんは「えっ?」と聞き返しました。
「和也にしてみれば“善意の行動がよい結果を生まなかった”ということになるけれど、その女性にとってはどうだろう。前にも自転車にいたずらをされたことや、盗まれたことがあるかもしれない。もし、それが最近のことだったら、その女性が神経をとがらせていたとしても仕方がないんじゃないか?」
「うーん、そうかもしれない……。そこまで考えなかったよ」
「でも、和也はいいことをしたんだよ。今回は災難だったが、どんなときも冷静になって、相手の気持ちを察してみるという心がけは大切だと思うな。きっと、その女性も勘違いに気づいてバツの悪い思いをしただろうから、気の毒だったね」
そんなお父さんの話を聞きながら、和也さんは気持ちが少し落ち着いていくのを感じました。
よかれと思って起こした行動でも、ちょっとした行き違いで相手から思わぬ非難を受けることがあります。この場合、和也さんは純粋な善意から、倒れている自転車を起こしたのでしょう。とはいえ、売り言葉に買い言葉で感情に任せて相手の勘違いを責めては、せっかくの善意も台なしですし、さらに悪い状況になる可能性もあります。
■誠実に人と接する
善意のすれ違いが起きたとき、それをマイナスと考えずに対処することは大切です。私たちは普段から、どのようにしたら相手を喜ばすことができるか、相手や周りを察する気持ちを持って行動していきたいものです。
現代礼法研究所を主宰する岩下宣子さんは、友人から聞いたという「電車の中での出来事」を、次のように紹介しています。
――20代の女性が座っている前に70代ぐらいの男性が立っていたそうです。女性が席を譲ろうとすると、その男性は「冗談じゃない。私はまだ席を譲られるような歳ではない」と怒り出しました。普通は人が親切でやってあげたのに、そんな言い方は失礼だと思われるでしょう。でも、その女性はこう言いました。
「ご気分を悪くしたら、どうぞお許しください。失礼ですが、私よりもお目上の方と思ったもので、席をお譲りしなければいけないと思ったまででございます。よろしければおかけ願いませんでしょうか」
そうして男性に座っていただいたそうです――(『れいろう』平成20年5月号より)
電車の中で席を譲るという行為は、日常的に行われています。そこに「ほんとうに相手のことを思いやる心」を込めてこそ、その善意は伝わっていくのではないでしょうか。その女性は、自分の好意を相手に押し付けようとするのではなく、相手の立場や気持ちを察して「どうしたら相手の心が和むのか、安心してもらえるのか」という思いやりの心を持っていたからこそ、「お目上の方と思ったもので……」という言葉が出てきたのでしょう。
岩下さんは、これからの時代で大切なのは「誠実に生きていくこと」、つまり「真心を込めて、真心を持って人と付き合う」ことだと述べています。
日々誠実に生きることを心がけ、深い思いやりの心を持って周囲の人と接していくことで、私たちの善意は実を結ぶのでしょう。そして、自分も相手もより多くの喜びを得ることができる、温かな人間関係が築かれていくのではないでしょうか。
自分に原因があって謝罪するのならともかく、相手の勘違いや誤解によって非難された場合の対応は、ことのほか難しいものです。しかし、その際にも“まだ自分に足りないものがあるかもしれない”と、自分を振り返ることができれば、自分をより大きく成長させる糧となることでしょう。
■笑顔の再会
あの出来事から1週間ほど経った日のこと、和也さんは同じ自転車置き場でまたあの女性と鉢合わせました。
和也さんは、“このままにしておいたら、お互いに気持ちが落ち着かないかもしれない”と考え、思い切って声をかけてみることにしました。
「こ、この間は失礼しました!」
女性は初め、怪訝そうな顔をしていましたが、やがてあのときのやりとりを思い出したのか、「あっ」と小さな声を上げました。和也さんは、女性が何かを言いかける前に「自転車、壊れてなかったか気になって……」と、言葉を続けました。
すると、女性はほっとしたような表情で「こっちこそ、この前はほんとうにごめんなさいね。実は少し前に自転車を盗まれたことがあって、変な勘違いをしてしまって」と、恐縮しています。
「そうだったんですか。僕もちゃんと説明できなくて、すみませんでした」
そんな会話を交わし、笑顔でその女性と別れた和也さん。お父さんの「相手の気持ちを察してみる」という言葉を思い出しながら、いつも以上にさわやかな気持ちで自転車のペダルをこぐのでした。
(『ニューモラル』497号より)