「誕生日」を考える ~ 道徳授業で使えるエピソード~

1年に1度、誰にでもやってくる人生の節目のひとつである誕生日。その意味をあらためて考えてみます。

■誕生日にプレゼントをゲットする?

「私ね、今度の誕生日に新しいゲームソフトを買ってもらえるの!」
「やったね! 私の誕生日にはパソコンをゲットしようかな」
学校からの帰路なのでしょう。2人の女子中学生とすれ違い越しに、そんな会話が聞こえてきました。
誕生日は、1年に1度、誰にでもめぐってくる人生の記念日の1つです。家族や友だちから誕生の祝福を受けることは、いくつになってもうれしいものです。
ところが、誕生会やプレゼントがあまりに盛大に、そして豪華になりすぎるあまり、祝福を受けるほうも送るほうも、誕生日の意味について考えを深めることが薄れてきてはいないでしょうか。

■「かみさまのち」

私たちが今日生きている、生を享けているのは、親の存在があってのことです。親がいなければ、私たちは生まれてくることができません。
次のような作文があります。

かみさまのち
坂井百合奈(7歳、新潟県新潟市)

わたしには5さいと1さいの弟がいます。5さいの弟はやすのり、1さいの弟はとしのりと言います。
でも、今から7年まえのわたしが生まれた日に、もし、おかあさんがゆけつをしていなければ、わたしはやすのりにも、としのりにも、おかあさんにも2どとあうことはできませんでした。
1995年3月17日、ごご2時22分にわたしは生まれました。わたしが生まれてすぐあと、おかあさんは「しかんしゅっけつ」というものになって、ちがとまらなくなりました。でも、すぐにゆけつをしてもらいました。そして、たすかることができました。
もし、あの日、そのままおかあさんがしんでしまっていたら、わたしはおかあさんの顔をしらずにいたとおもいます。今、おかあさんや、やすのりや、としのりが生きていられるのは、しらないだれかがけんけつしてくれたおかげです。
おかあさんの体の中には、かみさまのようなやさしい人のちがながれているのだとおもいます。
「2人ぶん生きないと、ばちがあたるね」とおかあさんは言います。わたしもおかあさんのように、いのちを大切にしてこれからも生きていきたいです。
(『心のきずなエッセイ作品集』モラロジー研究所刊〈非売品〉より)

■命を継承する営み

百合奈さんは、母親から自分が生まれたときのようすをどのような気持ちで聞いたのでしょう。詳しい病状は分からないにしても、母親が苦労し、命をかけて自分を生んでくれたことを感じたに違いありません。
もしものことが起こっていたとすると、母親はもちろん、自分のあとから生まれた弟たちとも出会うことがなかったという不安や不思議さ、そうならなかったことに対する安堵と喜び、そして母親に輸血をしてくれた人への感謝の気持ちなどを通して、幼いながらも、命の尊さについて感じていることが分かります。
弛緩出血は、子宮の機能が低下している場合の出産時に起こるとされています。また、出産前でも、妊娠中毒症などの症状が重くなると、母子ともに危険になります。
今日のように、医療技術が発達して、危険を回避することができるようになっても、命を継承するための出産という営みは、母体も胎児も常に大きなリスクを伴って行われることは、昔も今も変わりがありません。
私たちが生まれた日は、お母さんが大変な苦労をした日であり、自分の命と引きかえる覚悟をもって出産に臨んだことを、あらためて見つめなおしたいものです。

■喜びと感謝――赤ちゃんは35億歳

遺伝子研究の第一人者として知られる筑波大学名誉教授の村上和雄氏は、「赤ちゃんは35億歳」とおっしゃっています。

――受精卵から十月十日の間に、3兆個とか4兆個の細胞の見事な赤ちゃんとなるあの業は、人間の思いや努力だけでできるものではありません。十月十日の間に、生き物の進化のドラマを再現し、赤ちゃんになっていくのです。(中略)
私は、地球生命でいうと、赤ちゃんというのは生まれたときに、もうすでに35億歳だと言っています。35億年かけて、地球が、大自然が丹精込めてつくり上げた結晶が赤ちゃんなのです――

また村上氏は、かつて、アメリカのシュワイカートという宇宙飛行士と対談した中で、いちばん興味深かったというエピソードについて語っています。
シュワイカートは、アポロ9号に乗って地球を飛び出し、人類がまだ月に行く前に宇宙遊泳に成功した人です。彼の宇宙遊泳の姿を、船長がカメラで撮影していましたが、途中でカメラが故障したために、彼はしばらくすることがなくなってしまいました。
ところが彼は、そのおかげでゆっくりと地球を見ることができたのです。地球の外の世界は「死の世界」です。そこから眺めて、地球の美しさを実感したことはもちろん、地球が「生きている」と感じたのです。
“あそこに水と空気と太陽の恵みがちょうどうまい具合に集まって、その中に生き物が生まれた。その命と自分はつながっている”
そんな思いが湧いてきたのです。彼は地球に恋をし、感動して帰ってきました。地球に戻った彼は、その後、詩人に変身したのです。
村上氏は次のように述べています。

――私は宇宙に行ったことはありませんが、細胞の中の遺伝子の世界に入ってみると、細胞1つといえども宇宙に匹敵する秘密が隠されています。ミクロとマクロで違いますが、そこに見るものは、要するに命のすばらしさ、偉大さ、そして有り難さなのです。
「有り難い」という意味は、めったにない存在ということですが、宇宙で見ると、それは地球であり、私たちの命だということです。
ですから、自分の力で生きている人など1人もいないのです。人間は水がなければ、空気がなければ、地球がなければ、太陽がなければ生きていられません。植物や動物、ましてや自分以外の人々がいなければ、人間は生きていけないのです。みんな、そのような大自然のおかげで生かされているわけです――
――そういう意味で、私たちの命や体は、大自然からの贈り物であり、借り物であって、生きているということは、それほどすばらしいことであり、有り難いことなのです――
(村上和雄著『いのちの素晴らしさ』モラロジー研究所刊より)

■つながりの中の「今」を生きる

親が子を生み育てるということは、このような大宇宙の現象、大自然の法則にかなっていることです。そして、この営みは、私たちの祖先からずっと途切れることなく繰り返されて続いてきたのです。
このように考えていくと、親や祖父母はもちろん、顔も知らない多くの祖先に対しても、命のつながりとそのための苦労・努力に対して、畏敬の念や感謝の気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。
私たちはふつう、自分が誕生したときのことは覚えていません。ですから、お母さんは、子供が生まれたときのようすや気持ちを、子供たちに伝えてやってほしいものです。
私たちのからだの中に、1度も途切れることなく脈々として生き続けている両親や先祖との“つながり”というものを、あらためて考えてみることが、誕生日の大切な意味といえるのではないでしょうか。
周囲からの祝福を受けると同時に、授かった命の意味について思いを深め、これからの人生をよりよく生きていくことを誓う日にしていきたいものです。

(『ニューモラル』404号より)

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