助け合ってこそ社会 ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちは社会生活を営むかぎり、人とのかかわりやつながりなしには生きていけません。他人から親切や援助を受けたり、反対にみずからの力を社会のために提供したりして生きています。
今回は、社会の中の助け合いについて考えます。

■情けは人のためならず

以前、文化庁が行った「国語に関する世論調査」の中で、「情けは人のためならず」という諺が、「情けをかけることは相手のためにならない」と理解している人のほうが多いということが発表されて、話題になりました。
本来は、「他人に情けをかけると、いつかめぐりめぐって自分のためになる」という意味ですが、昨今では他人を助けたり、世話をすることは、あまりよいことではないと考えられているのでしょうか。

■見ず知らずの人から贈り物

「情けは人のためならず」という諺を、まさに体験したような話をKさんから聞きました。
福井県出身のKさんは、地元の高校を卒業すると東京の専門学校に進学しました。経済的に大変な苦労がありましたが、勉学に励み、そのまま東京で就職。やがて、Kさんは結婚し、娘さんが生まれました。Kさんの人生は、順風満帆でした。
娘さんが小学校に入学するとき、細菌の感染による扁桃腺炎にかかり、40度の高熱が続いたそうです。医師の診断は、「扁桃腺の熱だから大丈夫で、すぐに下がります」というものでした。ところが5日目、娘さんの全身が土色に変わりはじめました。あわてて病院で検査をすると、腎臓が細菌に侵され、尿毒症を起こしていたのです。
病院の医師の診断は、「命の保証はできません」という厳しいものでした。入院しての懸命な治療の結果、幸い、一命をとりとめて退院することができましたが、重い後遺症が残り、その後も治療が続けられることになりました。再度の入院もあり、時には生死の境をさまようこともありました。
治療を続ける娘さんが中学校に進学するころ、Kさんに見ず知らずの人から荷物が届きました。中には木の根っこのようなものと、次のような内容の手紙が入っていました。
「戦後すぐ、私たちは食べる物が無くなり、飢え死にしそうになりました。そんなとき、あなたのご両親から食べ物をいただきました。それによって私たち家族は命をつなぐことができました。そのことを忘れずに思っていました。
娘さんが大変な病気で苦しんでおられるとうかがったので、これをお送りします。生だと毒ですから、薄く切って1か月ほど日かげに干して、煎じて娘さんに飲ませてあげてください」
送られてきたのはヤマゴボウと呼ばれる漢方薬の一種でした。

■親の善行に救われたKさん

手紙を読んだKさんは、遠い昔の両親の姿を思い浮かべました。
――Kさんの両親は、結婚して16年間、子供に恵まれませんでした。そのためにKさんが生まれるまでの間、5人の子供を養子として育てていました。
父親は軍医でしたが、戦地でマラリアを患い、戦後は体調が悪く職に就けませんでした。そのため母親は畑を借りて耕し、内職の機織をしながら生計を立てていました。そのような状況でも、仏教に帰依する両親は他人に尽くすことを惜しみませんでした。
戦後の混乱期、Kさんの両親は、満足に食べることができない人たちを自宅に招き、食事を与えていました。昼食時にもなると、6、7人が家に集まり、食事が終わると、帰りにはおにぎりや味噌などを提供していました。苦しい生活の中でも、両親は「私たちにできるときには、させてもらおう」と言って実行していました。そのような両親の後ろ姿を見て、Kさんは成長したのです――
見ず知らずの人からの贈り物と両親の姿がつながりました。6年間、藁にもすがる思いだったKさんは、手紙に書かれていたことを実行しました。
やがて、娘さんの症状は少しずつ改善していきました。もちろんいくつかの医学的な条件も重なったのでしょうが、医師が驚くほどの回復ぶりでした。
Kさんは、こうした経験によって、両親が困っている人々を助けたことが、自分の娘を救ったように思うようになりました。Kさんは両親の思いに深く感謝するとともに、みずからが受けた善意に報いるために、今度は自分が善意の恩返しをする決心をしました。今では、さまざまな社会貢献やボランティア活動に励んでいます。
Kさんのように、本人や周囲が気づく例は稀かもしれませんが、他人への親切や善意は、相手に喜びを与えるだけでなく、さまざまに形を変えて、めぐりめぐって、みずからに戻ってくるのではないでしょうか。
私たちの先人は、そのことに気づいて、諺や教訓、また家訓として伝えてきています。

■売り手よし、買い手よし、世間よし

古くから日本の各地には、他人への善行や社会貢献を積極的に行った人々がたくさんいます。
江戸時代、近江の国(現在の滋賀県)に現れた近江商人は、全国各地で商売を行うとともに、たくさんの社会貢献を積極的に行いました。
近江商人の考え方は、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」という言葉に表されています。彼らは、商売は売る側と買う側だけが利益を得るのではなく、周りの人々の幸福にもつながらなければならない、という考えを持っていました。
当時の近江商人が書き残した家訓が今も数多く残っています。その中から1つを紹介します。
「人の人たる務めを大切に心がけるために申し伝える。恩を忘れず、神仏のご加護を信じて、慎み敬うこと。決しておごり高ぶることなく、他人の苦しみを思いやり、他人の喜びを楽しみとして、自己の欲を抑えて、貧しい人たちを憐れみ、自分の力に見合った救済をするならば、天の道理にかない、世間の人々に受け入れられるだろう。商売の道もそこにある」(中井家の家訓「中氏制要」を現代的に意訳)
これは代表的な近江商人の1人である中井源左衛門が自分たちの考えを子孫に伝えるために書き残したものです。中井家では、この家訓のとおり、橋の架け替えや石道路の敷設、常夜燈の設置や神社仏閣への寄付などを積極的に行いました。
近江商人は、人として大切な務めは恩を忘れずに、社会にお返ししていくことが商人の生きる道であることを、代々の経験から身に付けて、実践していたのでしょう。自分たちの商売ができるのは、相手だけでなく、社会の人々のおかげであると自覚していたのです。

■みずからの力を社会に

私たちは人とのかかわりの中で生きていくかぎり、周りの人々の世話や助けを受けるものです。たとえば、道路や電気・ガス・水道などの公共財を利用し、教育や福祉などの公共のサービスを受けていない人はいないでしょう。これらは今日の社会では、当たり前のように考えられていますが、すべて先人が時間と労力を使って、試行錯誤した結果として得られたものです。
私たちは、持ちつ持たれつ、助け助けられる社会に暮らしています。
大切なことは、そのような関係の中にいることを自覚することです。そのことを自覚したとき、私たちは多くの恩恵に対する感謝の心とともに、身近なところから積極的に人々に働きかけ、自分にできることで社会に貢献したいという心が生まれてくるのではないでしょうか。
1人ひとりのそのような積極的な働きかけが、明るく温かい社会をつくる原動力となり、めぐりめぐって、みずからの幸せにつながっていくのです。

(『ニューモラル』449号より)

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