心の持ち方ひとつで ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちの心を見つめてみると、朝起きてから夜寝るまでの間、心は時々刻々、変化していることに気づかされます。相手からの温かい言葉で元気になったり、反対に何気ないひと言で傷ついたり、心が落ち込んだりします。このように変化する心について、私たちは日々、どれだけ意識を払って生活しているでしょうか。

■車内での出来事

池田さん(36歳)は、短い時間で心が大きく変化することを体験しました。
それは、東京駅に向かう電車内での出来事でした。座席に座っていた池田さんの前に、赤ちゃんを背中におぶった30歳代の母親が立っていました。池田さんは、「どうぞ、座ってください」と声をかけながら、席を立ちました。
母親は池田さんにお礼を言いましたが、自分が座らずに小学2年生ぐらいの女の子の手を引いて、座らせたのでした。そのとき、それまで女の子がいることに気づかなかった池田さんは、“自分が席を譲ったのは、赤ちゃんをおぶったお母さんに座ってもらうためだったのに”と、自分の親切が思いどおりに受け取ってもらえなかったことに、少し不満を覚えました。
しばらくすると、座席に座っていたその女の子が、「お母さん。どこ? どこにいるの?」と母親がいる場所とは反対の方向に向かって話しかけました。母親は女の子の肩に手を軽く置きながら「大丈夫、お母さんはここにいるよ」と優しく答えました。
池田さんは状況がすぐに理解できませんでした。しばらく母と子の様子を見ていると、その女の子は目が不自由なことが分かりました。
そのことを知った池田さんは、自分の親切が期待どおりにならなかったことで気分を害した自分が恥ずかしくなり、母と子に何か申し訳ないことをしたような気持ちになりました。
やがて、親子は目的の駅に着いたらしく、母親が「ここで降りるのよ」と女の子に声をかけました。そして母親は池田さんに、「ありがとうございました」と、もう1度丁寧にお礼を言い、女の子の手を引いて電車を降りて行きました。
池田さんはそのお礼の言葉で心が洗われたような気持ちになり、親子に対して“幸せになってください”と祈らずにはいられませんでした。そして、池田さんの心の中には、親子の姿とともに温かいものが残ったのでした。

■不満の心から相手の幸せを祈る心に

この池田さんの体験はいくつかのことを私たちに教えてくれます。
席を譲ったとき、なぜ池田さんは不満に思ったのでしょうか。みずからの意思で親切な行為をしたのですから、不満に思うことはないのかもしれません。しかし、池田さんの心には、自分は母親のために席を譲ったのだから、母親は座るべきだという勝手な思い込みがありました。それが不満な心を招いてしまったようです。
不満や不平の起こる原因の1つは、こうした自分の一方的な思い込みにあるといえるのではないでしょうか。
また、心は周囲の情報を感じとり一瞬のうちに変化します。女の子の目が不自由だという事実を知って、池田さんの心は一変しました。さらに、母親からお礼の言葉を言われて、池田さんの心の中には相手の幸せを祈る純粋な気持ちが生まれました。
短い間の出来事でしたが、池田さんの心は相手に対する不満から幸せを祈る心へと大きく変化し、心の中には温かい余韻が残りました。
人の心はたいへんデリケートで複雑です。1つの出会いが幸せを祈る心を生じさせることがあれば、1つのささいな出来事が心を乱すこともあるのです。

■反省の心が自分を高める

私たちの心は、物事をどのように受けとめるのか、その受けとめ方で大きく変わります。
奈良県にある薬師寺で録事を務める小林澤應(こばやし・たくおう)師の体験をご紹介しましょう。
小林師は、寺を訪れる中高生に対して薬師寺の境内を案内しながら法話を行っています。未来の日本の国を背負って立つ中高生の心を耕し、仏心の種まきをすることが仏法者の使命であると確信しています。
あるとき、中学生が修学旅行で薬師寺を訪れました。小林師はいつものように境内で200人ぐらいの団体に対して青空説法を行い、約30分間、自分の持てる力で懸命に話をしました。小林師の話は終わり、生徒たちは別の場所に移動しました。ところが、生徒たちがそれまで立っていた所を見ると、他の神社仏閣からもらってきたチラシが散乱していました。
それを見た瞬間、小林師は自分の力不足で、生徒たちの心を耕すことができなかったことを反省し落胆しました。
複雑な気持ちでその場に捨てられたチラシを1枚1枚拾っていた小林師は、1人の男子生徒が少し離れた所に立っているのに気づきました。
目が合った瞬間、その生徒は5円玉を小林師に向けて投げつけました。5円玉が小林師の前に落ちると、その生徒は小林師に向かって合掌し、笑いながら礼拝しました。その行動に小林師は、一瞬、侮辱されたような気持ちになりました。そこで、「せっかくだけど、このお金はお堂の中のお賽銭箱に納めてください」と伝え、5円玉を拾って渡しました。
すると、その生徒は「ああ、そうですか」と言って、走り去って行きました。
その夜、小林師が風呂に浸かって、静かにその日を振り返っていると、昼間の生徒の行動が思い出されました。すると、ある思いが浮かんできました。
“もしかすると、あの生徒が自分に向けてお金を投げたのは、仏との「ご縁」に感謝して、「5円」を投げたのではないだろうか。生徒に悪ふざけや自分を侮辱する気持ちなどなく、彼なりの感謝の気持ちを表す方法が分からなくて、あのような突飛な行動になったのではないだろうか。もしあのとき、そのことがすぐに理解できていれば、『ありがとう。私からご本尊にお供えしておきます』と言えたのではないだろうか。それなのに、不快感を覚えてしまった自分の心は、なんと固く狭い心だろうか”
そのときのことについて小林師は、「私はあの生徒の行為を通じ、私自身の狭い心に気づかせてもらいました。仏の心の種まきをしているつもりが、逆に私が生徒から教えを受けたのです」と言います。

■人生は自分の心がつくっている

私たちはみずからの解釈と判断によって、人や出来事を評価しています。
出来事にたとえ不快を感じたり、苦しく困難な問題であったとしても、その受けとめ方によって、自分の心を高める絶好の機会にできます。
大切なことは、自分の目の前で起こった出来事が、自分にとってどのような意味があるのかを、柔軟な心で考えていく態度であるといえるでしょう。
私たちが日常に経験する不愉快な思いは、自分の考え方、感じ方、あるいはそのときの気分や機嫌から生まれてくるものであって、相手や出来事そのものから生まれてくるわけではありません。日々の生活の中で、何を大切に思い、何に心を動かし、どのように判断するのか。それはすべて自分の心が決めていると言えるのではないでしょうか。
人間関係における悩み、不平や不満といった不機嫌な気持ちが、実は自分の心がつくり出していると考えてみることで、新たな展開や新しい解決策が見つかるかもしれません。自分の心を見つめ、みずからの心を深く省みることが、新たな自分を築く第一歩となるでしょう。

(『ニューモラル』430号より)

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