人生をひらく“心づかい” ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちは、日常生活の中で起こる出来事に、さまざまな心をはたらかせながら生活しています。同じ出来事に遭遇しても、その受け止め方や感じ方は1人ひとり異なります。そうした心のはたらきが私たちの人生に及ぼす影響は、決して小さくありません。
今回は、私たちの人生を方向づける“心づかい”について考えます。

■昌代さんの優しさ

それは小さな出来事でした。
弘子さん(50歳)と昌代さん(55歳)は、子供たちに絵本の読み聞かせをするサークルのメンバーです。
ある日、定例会を終えた2人が、公民館のロビーで休んでいたときのことです。駐車場のほうから、子供を連れた若いお母さんが歩いてくるのが見えました。
そのお母さんは、3歳ぐらいの男の子を連れて、腕には赤ちゃんを抱いています。さらに、おむつや着替えなどが入っているのでしょう、大きな布バッグを提げています。
“そういえば、今日は乳幼児健診があるんだったわ。子供が小さいうちは、外出も荷物が多くなって大変なのよね……”
弘子さんがふとそんなことを思った、そのときです。ロビーに入ってきたお母さんのもとへ昌代さんが歩み寄り、穏やかな口調で声をかけました。
「大丈夫ですか? 乳幼児健診にいらしたんですよね。もしよろしければ、そのバッグ、健診室までお持ちしますよ」
若いお母さんは、突然声をかけられたことに少し驚いた様子でした。でも、昌代さんの柔らかで優しいまなざしを見て、
「ありがとうございます。助かります」
と、ペコリと頭を下げ、腕に提げたバッグを預けました。
そんな光景を目にした弘子さんは、いつも昌代さんと一緒にいて感じていることを、あらためて思うのでした。
“やっぱり昌代さんはすごいわ。「大丈夫かしら」と思って見ているだけじゃなくて、こんなふうに自然に手を差し伸べることができるなんて……”

■心がもつ大きな力

とっさに口を衝いて出た言葉や普段の何気ないしぐさから、その人の人柄が見て取れることがあります。私たちの言動は、毎日の生活の中で時々刻々、さまざまにはたらいている心の表れです。
私たちが日ごろ何を大切に思い、何に価値を見いだしながら生きているか。また、そのときどきに出会う物事に対してどのような心をはたらかせているか。それらが私たちの言動の1つ1つに影響を与えます。さらには、そうした心のはたらきの積み重ねによって、人柄や性格といった私たちの内面そのものが形づくられているとも言えます。
中国の古典に「善積まざれば、もって名を成すに足らず。悪積まざれば、もって身を滅ぼすに足らず」(『易経』繋辞下伝)とあります。私たちの人生における大きな出来事は、一朝一夕に成るのではなく、小さな善事や小さな悪事が長い年月のうちに積もり積もった結果であることを説いたものです。そして、小さな善事や悪事を行う際も、私たちは必ずなんらかの心をはたらかせているのです。
私たちの心は、目で見ることはできませんが、私たちが考える以上に大きな力をもっているのではないでしょうか。

■レストランで食事を終えたら……

あるファミリーレストランでのひとこまです。

お父さん、お母さんに2人の子供が連れられた、藤沢さん一家が来店しました。今日は長女・恵子ちゃんの小学校入学のお祝いを兼ねた外食のようです。
テーブルいっぱいに料理が並ぶと、お父さんの「入学おめでとう」という言葉で、にぎやかに食事が始まりました。
みんなおいしい食事に大満足の様子。楽しい会話が弾み、家族の笑顔がはじけ、時間があっという間に過ぎていくようでした。
「おいしかったね。みんな、お腹いっぱいになったかな? それじゃ、そろそろ帰ろうか」とお父さん。みんなで声を合わせて「ごちそうさま」をした後、藤沢さん一家の帰り支度が始まりました。
テーブルの上にはお皿やコップ、おしぼりなどが散らばっていましたが、お母さんは食器類の大きさをそろえて重ねていきます。お父さんや子供たちも、コップを一か所にまとめ、使った箸やスプーン、フォークを集めて向きを整えると、食器のわきに置きました。
そうしてテーブルの上がきれいになると、みんなで座っていた椅子をテーブルの下に戻し、レストランを後にしたのでした。

「私たちはお金を出しているのだから、藤沢さん一家のようにする必要はない。それは従業員の仕事」というのも、1つの考え方でしょう。
それでも、食後のテーブルに広げられた食器類を片付けやすいように整えておく行為には、後で食器を下げに来る従業員への配慮が感じられます。また、席を立つときに椅子をテーブルの下に戻しておく行為には、周囲の人の通り道をふさがないようにという心配りが感じられます。

■1つの思いにも、1つの行いにも

『ニューモラル』の考え方の本になっている総合人間学モラロジー(道徳科学)を創建した法学博士・廣池千九郎(1866~1938)は、道徳実行の指針として多くの格言を残しました。その1つに「一念一行仁恕を本となす(いちねんいっこうじんじょをもととなす)」(『最高道徳の格言』モラロジー研究所)があります。
「仁恕」とは、すべてのものを生かし育てようとする深い思いやりの心であり、この格言は、そうした心をすべての言動の基本とすべきであることを説いたものです。
私たちは日々接する人々に対して、どのような形で温かい心を表すことができるでしょうか。ささやかな行為としては、明るく喜びに満ちた表情で接する、相手の話に心から耳を傾ける、温かい励ましや感謝の言葉を伝える等々。どれも特別な行為ではありませんが、“相手に喜びや安心、満足を与えられるように”と思いやる心の確かな表れであると言えるでしょう。
そしてまた、大切なことは「人と直接ふれあったときに発揮する思いやり」だけではないということです。
教育哲学者・森信三氏(1896~1992)に師事した寺田一清さんは、あるとき師から「あなたは脱いだ履物のそろえ方も知らんのか」という注意を受けたと言います。寺田さん自身はきちんとそろえているつもりだったそうですが、師の真意は「後から来る人のために、位置に気をつけて並べているかどうか」にあったということです(参考=『人は終生の師をもつべし』モラロジー研究所)。
1つの思いにも1つの行いにも、思いやりの心をはたらかせて生活する――。そこには、周囲の人々と円満な人間関係を築くとともに、自分自身の心を成長させ、人生を明るい方向へと導いていく無限の力が潜んでいます。

■「思いやり」は人生の原動力

「人は1人では生きていけない」と言われます。私たちは親子や夫婦、親しい友人との深い結びつきから、社会の中で出会うさまざまな人々とのかかわりまで、実に多くのつながりの中で互いに助け合い、支え合いながら生きているのです。
私たちは胸の内に芽生える「あたたかい心」「やさしい思い」を、日常にどれほど生かすことができているでしょうか。
他者への温かい心を大きく育て、“喜びや安心、満足を与えたい”という志を言動に表したとき、それはささやかな行為であっても相手の心に響きます。そこで生まれたぬくもりは周囲にも波及して、よりよい社会を築く原動力となるでしょう。そこにこそ、私たち自身の喜びに満ちた人生がひらかれていくのです。

(『ニューモラル』500号より)

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