自他ともに輝く ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちは、1度しかない人生をよりよく生きたいと願い、日々努力しています。自分の人生が、たとえ気に入らないものであっても、他の人が代わってくれることはありません。私たちは自分の人生を主役として生きているのです。
また、人は1人では生きていけません。家族をはじめ、友人や職場の人たちなど、多くの人とかかわりあいながら生きていきます。
今回は、自分と他者とのよりよい関係について考えます。

■「結論から言え!」

渡辺武さん(48歳)には、5年前に次のような経験がありました。

武さんは商社に勤める営業マンとして、入社以来、営業畑一筋で働いていました。ばりばりと仕事をして成果をあげることが自分の生きがいでした。またそうした努力こそが、家族を養い、幸せにすることだと信じていました。
長年の努力が実を結び、42歳で営業部長になりました。武さんの会社では異例ともいえる大抜擢で、社内でも一目置かれる存在になりました。
しばらくの間はそつなく仕事をこなしていた武さんでしたが、仕事の量も増え、また仕事の内容も変わってきたこともあり、それまで明るく多弁だったのが次第に無口に、そして考え込むようになっていきました。
仕事は家に持ちこまない主義の武さんでしたが、あるとき、自分でも予想しなかったような事態が起こってしまいました。
「ただいま」
「お帰りなさい。あら、あなた、顔色がよくないわよ。最近疲れているんじゃないの? 食事を先にします? それともお風呂?」
「ああ……」
「どちらでもいいのなら、先に食事の用意をしますね」
そう言って妻の幸子さん(40歳)は、着替えをしている武さんを後にして、遅い夕食の用意に向かおうとしました。ところが幸子さんは、何かを思いついたように戻ってきて再び話し始めました。
「ねえ。今日、お隣の奥さんから声をかけられたのよ。私が朗読ボランティアをしていることを誰かから聞いたのね。結婚前にそういう関係の仕事をしていたんですかとか、発声の練習なんかするんですかって。そしてね……」
すると、突然、武さんが怒鳴り声を上げました。
「結論から言え! 結論から!」
幸子さんはびっくりしました。
「今、仕事のことで頭がいっぱいなんだ。だから、何が言いたいのか、結論から言ってくれよ!」
幸子さんは悲しみをこらえきれませんでした。
「もう、いいわ!」
そう言い残すと、幸子さんはうつむきながら台所へ行ってしまいました。
“しまった”
そう思った武さんでしたが、言ったことを取り消したりはできません。
“どうして、あんなことを言ってしまったんだろう”
武さんは自分でも啞然としていました。

■人生の「主役」「わき役」

翌日、幸子さんは朝から口をきいてくれません。武さんも素直に謝る気にはなれずに会社に出かけてしまいました。会社でも武さんの気持ちは晴れず、仕事に没頭することができませんでした。
そんな武さんの気持ちを助けてくれたのは、昼休みに書店で手にした本でした。その本には、次のような文章がありました。
――どんな人だってその人の人生という舞台では主役である。そして自分の人生に登場する他人は皆それぞれの場所で自分の人生の傍役(わきやく)のつもりでいる。
だが、胸に手を当てて一寸(ちょっと)考えてみると、自分の人生では主役の我々も他人の人生では傍役になっている。
(中略)
だが人間、悲しいもので、このあたり前のことをつい忘れがちなものだ。例えば我々は自分の女房の人生のなかでは、傍役である身分を忘れて、まるで主役づらをして振舞ってはいないか。
五、六年前、あまりに遅きに失したのであるが、女房を見ているうちに不意にこのことに気がつき、
「俺……お前の人生にとって傍役だったんだなァ」
と思わず素頓狂な声をあげた。
(中略)
以後、女房にムッとしたり腹が立つ時があっても、
「この人のワキヤク、ワキヤク」
と呪文のように呟くことにしている。すると何となくその時の身の処しかたがきまるような気がする――
(遠藤周作著『生きる勇気が湧いてくる本』祥伝社黄金文庫)

■大事な「わき役」

武さんは自分の人生を精いっぱい生きていると自負していました。ですから、仕事で夜遅くになっても、妻ならば起きて自分を出迎え、夕食の用意をすることが当たり前だと思っていました。武さんにとって、幸子さんは確かに「わき役」でした。
ところが、妻である幸子さんから見ると、幸子さんの人生の主役は幸子さんであり、武さんは「わき役」なのです。そんなことはこれまで考えたことがありませんでした。まして、自分が「良きわき役」として、どのように妻に接することがよいのかなど、考えも及びませんでした。
その日の夜も武さんの帰宅は夜遅くになりました。しかし、いつもと違ったことがありました。家の玄関に入る前、心の中で次のようにつぶやいたのです。
“幸子の人生では自分はわき役、わき役。わき役は主役を輝かす大事な存在”
そう思いながら、武さんは着替えを終えたあと、台所に立つ幸子さんの不機嫌そうな顔を見ていました。すると、昨日の自分の暴言がどれほど幸子さんを傷つけたかが分かってきました。そして「良きわき役」として、自分はどうすることが幸子さんを輝かせることになるのかが分かってきたのです。
「いつも、遅くまで手間をかけさせてすまないね」
そう言って、武さんは昨日のことを幸子さんに素直にわびることができたのでした。
以来、武さんは、何かあるごとに、“幸子の立場や視点から見るとどうだろう”と、考えてみるようになったといいます。

■「主役」は自分中心になりやすい

それぞれの人生の「主役」である私たちは、おのずと自分を中心にしてものごとを考えます。ですから、人と人とのかかわりあいでは、いろいろな衝突が起こります。
例えば親子関係において、親の立場で子供の言動を見ていると、親の思うようにならない子供には腹が立ち、憎らしくなるでしょう。また、職場にあって、自分の言うことに間違いはないと考えている上司は、異論を唱えた部下に対して、上司の指示に従わないやつだという思いが湧いてくるでしょう。
しかし、子供は自分の与えられた持ち味を発揮させるべく精いっぱい生きようとしているのであり、部下も上司とは違った角度からよりよい仕事のあり方を考えていると見ることができます。
私たちはだれでも、自分の人生を輝かせて生きたいと願っています。自分を取り巻く人は、皆そうした思いを持っていることを認めて、自分が「良きわき役」としての役割を果たしていくことが大切だといえるでしょう。

■自他ともに輝く生き方

映画やドラマには主役がいて、わき役がいます。わき役がいることで主役が輝き、主役が輝くことで映画やドラマ全体が輝きます。人生という舞台では、主役とわき役は表裏一体の関係です。どちらも私たち自身の姿であり、大切な役割なのです。
家庭においては、夫を輝かせるのは妻であり、妻を輝かせるのは夫です。子供を輝かせるのは親であり、親もまた子供によって輝きます。職場にあっては上司を輝かせていくのは部下であり、部下を輝かせていくのは上司です。
私たちの人生は、他者とかかわりあいながら生きていくものです。そうした中で、主体的に他者を輝かせようと努力する人は、おのずから輝く人生を送ることになります。この生き方が、自分も他者も、つまり自他ともに輝く生き方につながっていくといえるのではないでしょうか。

(『ニューモラル』405号より)

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