ものの見方・とらえ方を変える ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちは自分中心に物事を考える傾向があります。しかし、それを相手や第3者の立場からの見方に変えてみるとどうでしょう。自分の視野が広がって新たな発見があるかもしれません。

■コピーは雑用?

出版社に勤める宮脇さん(35歳)が、まだ新米の編集者だったころの話です。
学生時代から本好きだった彼は、念願の出版社に入社し、将来、自分の編集した本が書店に並ぶことを夢見て仕事に打ち込んでいました。入社して1、2年がたったころには、何冊かの本の編集を手がけ、ますます仕事にやりがいを感じていたのでした。
そんなある日、宮脇さんが出社するとすぐ編集長に呼ばれました。
「今日の午後、今度出版する家庭教育の論文集の内容検討会議を、著者の先生方を交えて行うから、午前中にこの原稿を必要部数コピーしておいてくれ」
原稿は、家庭教育の専門家5名がそれぞれに書き下ろしたもので、原稿用紙で250枚程度ありました。社内の編集担当者を加えると全員で7名となり、相当の枚数のコピーを取る必要がありました。
宮脇さんは、「分かりました」と返事をしたものの、内心は、“俺だって今抱えている仕事で忙しいんだよ。どうして自分がこんなコピーみたいな雑用をしなくちゃいけないんだ”という不平不満が、心の中でモクモクと広がっていたのでした。
すぐさま彼はコピー室に走りましたが、“とにかく手早く片付けて、自分の仕事に戻ろう”という思いしかありませんでした。
ところが、コピー機は紙詰まりを起こしやすく、思いのほか時間がかかりました。やっとの思いでコピーを取り終えた宮脇さんは、確認もほどほどに会議室に届けたのでした。そして、編集長への報告もせず、中断していた仕事に急いで取り掛かったのでした。

■たかがコピー、されどコピー

その1時間後、再び編集長から呼び出されました。そして、いきなり一喝されたのです。
「宮脇! このお粗末なコピーの取り方はなんだ! 何箇所もページが抜けていたり、重なっていたり、原稿が途中で切れているページも何枚もあるじゃないか。
著者と最終的な確認をする大事な会議にこんなコピーを配ったら、参加者が戸惑って、会議がスムーズに進まなくなるのは目に見えているだろう。それぐらいのことが分からないのか!
それに、仕事というものは終了の報告があって初めて完了するんだ。報告があればすぐに確認もできて、余裕を持ってやり直しもできたはずだ……。
もう時間がないから、昼休み返上でやり直しだ」
編集長のこの厳しい言葉に、宮脇さんは身を強張らせました。入社当時、先輩から聞かされた「打ち合わせは大切にしろ。著者との意思疎通が編集の基本だ」という言葉を思い出し、「大変な失敗をした」と強く感じたのでした。
宮脇さんは、その出来事がきっかけで自分の考え方が変わったと次のように言います。
「ぼくは、編集長のあの一喝で目が覚めた思いがした。一人前の編集者気取りで、自分の仕事のことしか頭になくて、周りのことなどまったく関心がなかった。“若手の中では俺がいちばん仕事ができる”なんて思い上がっていたんだな。
あのとき、編集長が一喝してくれていなかったら、いつまでもそんな自己中心的な仕事の考え方から抜けきれなかったと思う。“コピーは雑用だ”なんて、とんでもない思い違いをしていたんだ」

■ものの見方が変わると仕事が変わる

宮脇さんは、それ以来、3つの約束事を決めました。
①コピーを取るという仕事をおろそかにしない。
②受け取る相手に満足してもらえるように、枚数や抜け、重なりがないかをしっかりと確認する。
③コピーが終わったら必ず上司に報告する。
「そうした心がけを自分なりに続けていたら、不思議なもので、コピーの受けとめ方が変わってきたんだ。“コピーなら私に任せてください”という『小さな誇り』といったら大げさだけど、そんなふうにも感じるようになってきた……」
そう語る宮脇さんです。
「雑用」という名の仕事はありません。その仕事を雑用と思うかどうかは、私たちの心しだいなのです。
自己中心的な仕事のとらえ方から、相手中心のとらえ方に変わるとき、私たちの視野は広がり、仕事に対する新たな意味が発見されるのではないでしょうか。

■お客さまの喜びを常に考える

ものの見方・とらえ方を相手中心に変えるということは、個人の生き方ばかりでなく、企業の経営にも通じるところがあります。
「経営の神さま」と呼ばれた松下幸之助氏のもとで、22年間、直接指導を受けた江口克彦氏(㈱PHP研究所代表取締役社長)は、「松下幸之助は自分の事業を考える時に、まずお客さんが喜んでくれるものはなんだろうかと常に考えた」と、『上司の哲学』(PHP研究所)の中で述べています。
そのことを示す1つのエピソードを同書からご紹介しましょう。
――1970年、大阪で万国博覧会が開かれたとき、松下電器は大きな池の中に法隆寺の夢殿を模した美しいパビリオンを建てた。マスコミでも話題になり、このパビリオンを一目見ようと、多くのお客さんが長蛇の列をつくったのだった。
ある夏の日、松下は突然このパビリオンを訪れた。そして、別の入り口から入れるにもかかわらず、炎天下の中、お客さんと一緒に長蛇の列に並んだ。2時間かけてやっとパビリオンの中に入ったとき、松下は係の人に、「もっとスムーズにパビリオンに入れるような新しい誘導方法を考えること」「日よけとなる大きな日傘を設置すること」「紙の帽子を作り、並んでいるお客さんすべてに配ること」という3つの指示を出した。
この帽子が話題になった。当然、帽子には「ナショナル」という文字が入る。お客さんはこの帽子をもらい、松下電器のパビリオンを出てからもかぶり続けていたのだった。その光景を見て、他の電器メーカーの人間は、「さすが松下さんは商売人だ。万博の会場までも宣伝の場に使おうとしている」と皮肉を込めて言ったという。
しかし、それは違う。松下は万博の会場を宣伝に使おうと思ったのでもなんでもなく、ただ純粋に、並んでくれている人たちを気の毒に思っただけだった。それが結果として宣伝効果を生んだに過ぎなかった。松下にすれば、炎天下の行列を終えれば帽子を捨ててもらってもまったくかまわなかった。これが松下幸之助の哲学なのだ(抜粋)――
このエピソードからも、「お客さまの喜びを常に考える」という松下幸之助氏の考え方がよく伝わってきます。

■思いやりの「三方よし」

モラロジー研究所の創立者で法学博士の廣池千九郎(1866~1938)は、「自己・相手方及び第三者のいずれにも幸福を与える」道徳のあり方を提唱しました。このような考え方は、江戸時代の碩学・石田梅厳(1685~1744)の経営思想にある「三方よし」として知られていますが、私たちのものの見方・とらえ方を考えるうえで、とても重要な示唆を与えてくれます。
私たちは、とかく自分中心に物事を判断する傾向が強くあります。まずそのことを十分に自覚して、自分だけの狭いものの見方・とらえ方から、周りの人や社会に目を向け、喜びと満足を与えるにはどうしたらよいか、知恵をめぐらしてみてはどうでしょうか。
人は1人では生きていくことはできません。どんな人も必ず人との関わりの中で、お互いに支え合いながら生きています。だからこそ、家庭や職場、地域社会において、自分も相手も第3者も共に喜びと満足のある生き方を求めていきたいものです。

(『ニューモラル』424号より)

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