伝えたい「和の心」 ~ 道徳授業で使えるエピソード~

人は家庭をはじめ学校や会社など、さまざまな人間関係の中で暮らしています。そのかかわりの中で、いくつもの軋轢(あつれき)や葛藤(かっとう)に出遭いますが、それらは自分を成長させるための糧にもなります。
今回は、古来、日本人が大切にしてきた「和の心」について考えます。

■娘が学校を休んだ

それは去年の秋のことでした。
「あれ、もう7時になるけど、美咲はどうしたの」
朝、会社に行く支度をしていた健二さんは、中学2年生の美咲さんが顔を見せないため、妻の良子さんに尋ねました。
「ちょっと体の調子が悪いんだって」
そんな良子さんの言葉を耳に、健二さんは玄関を出ました。
その日、健二さんが帰宅すると、待ちわびていたかのように、良子さんが話しかけてきました。
「朝、あなたが出かけてから美咲が起きてきたんだけど、思ったより元気そうだったから『調子よくなったの』って聞いてみたの。そうしたら、下を向いたまま黙っちゃってね。『どうしたの』って何度も聞いたら、はっきりとは言わないんだけど、学校でいじめに遭ったようなことを言うの」
「いじめ」という思いもよらない言葉に、健二さんは驚きました。

■もしかしたら陰口?

翌日も美咲さんは学校を休みました。
良子さんによると、美咲さんは前日より落ち着いており、質問にもぽつりぽつりと答えてくれたそうです。
事のあらましは、次のような話でした。

ある日、親友のM子さんがクラスの女子生徒数人と口げんかになったため、美咲さんは割って入ってM子さんを助けようとしました。けんかのきっかけは些細なことだったようですが、お互いに自分の言っていることが正しいと思っているため、収まりがつきません。
その後、美咲さんは、言い争いをした女子生徒たちから無視されているように感じました。また、彼女たちのしぐさを見ていると、自分が陰口を言われているようにも思えました。そんなことが何日か続いて、美咲さんは学校を休んだのでした。

“いじめというわけではなさそうだな”と思いつつも、親としては心配です。娘と話をしなければならないと思いました。

「ちょっと話がしたいんだけど……」
健二さんは美咲さんが起きているのを確認して部屋に入りました。正直なところ、どう話を切り出してよいのか分かりません。
黙ったままの美咲さんの横に座り、健二さんは語り始めました。
健二さんが話し終えた後も、なんの言葉も返ってきませんでした。しかし、表情は和らいだように見えます。健二さんが心配しているということだけは、伝わったのかもしれません。
翌日から、美咲さんは学校へ通うようになりました。健二さんはひと安心です。

■健二さんの反省と学び

健二さんは、人間関係に悩む娘を見ているうちに、昔の自分を思い出しました。若いころは正義感が強く、他人とぶつかることがたびたびありました。
就職して数年がたったとき、健二さんが担当していた商店から急な受注キャンセルの連絡がありました。健二さんが不在だったため、電話を受けた同僚がメモに用件を書いて、健二さんの机の上に置きました。ところが、メモが他の人から届けられた書類の中に紛れ込み、健二さんが席に戻ったときに「メモを置きましたよ」という声もかからなかったため、気づくのが遅れてしまいました。その結果、仕入れの取り消しができずに、損害が発生したのです。健二さんは、同僚を強く責めました。
その様子を見ていた上司は、健二さんを諭しました。
「君が頑張っているのは認めるが、仕事は1人でするものではない。いろいろな人と支え合い、補い合って成り立つものだろう。今回のことも、君が気をつけて書類を確認すれば防げたはずだよ。相手のミスばかりを責め立てていると、うまくいかなくなるぞ。組織には“和”も大切だ」と。

■和を以て貴しと為す

「和の心」は、私たち日本人が先人先輩から受け継ぎ、大切にしてきたものといえます。
これを説いた言葉の1つに、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」(互いに和を大切にして、人と争わないようにしなさい)があります。これは「十七条の憲法」の第一条に述べられている言葉です。
『論語』(子路篇)には、「和して同ぜず」という言葉もあります。「人と争わず仲よくすることは大切だが、自分の意見をしっかり持ち、むやみに調子を合わせたり、道理に反したことに賛成したりしない」という意味です。
責任を持って自分の意見を述べながらも、相手の個性や意見を尊重し、建設的・平和的に物事を運んでいくところに、「和」の精神の真価が発揮されるのです。お互いの本当の思いや考えを知らずに、うわべだけで仲よくすることは「和」とは言えないでしょう。

■人はかかわりの中で成長する

新年度を迎え、美咲さんは中学3年生になりました。始業式の日の夜のことです。健二さんが会社から帰宅すると、美咲さんが自分の部屋から出てきました。
「お父さん、お帰りなさい」
「ただいま。今日から3年生だね。クラス替えはどうだった?」
「仲のいい友だちとはみんな離れ離れになっちゃった。A子とも別れてがっかりだよ」
「A子ちゃんってだれ? 初めて聞いたけど、同じ部活動の友だちかい?」
「違うよ。去年、私の悪口を言ってたうちの1人なんだ。たまたま授業のあと、教室で2人きりになったときに、どちらからともなく『あなた、私の悪口言ってたでしょ』『あなただって言ったじゃない』っていう話になったの。初めはけんか腰だったんだけど、お互いに思い違いをしていたこともあってね。そのうち休み時間にも話すようになって、好きなアイドルの話で盛り上がったりして、最後は何でも言い合える、いちばんの友だちになっていたんだ」
残念そうに話を続ける美咲さんの言葉を聞きながら、健二さんは美咲さんの成長を感じて、うれしくなりました。そして、心からこう思ったのです。
“これからも人と衝突したり、トラブルに出遭ったりするかもしれないけど、今の美咲なら、きっと大丈夫だ”と。

■支え合って生きる

江戸初期の儒学者・中江藤樹(1608~1648)は、さまざまな徳行・感化によって“近江聖人”と称えられた人物です。藤樹は日常の中で心がけるべきこととして、「五事(貌・言・視・聴・思)を正す」ということの大切さを説きました。
「五事を正す」とは、和やかな顔つきをし(貌)、思いやりのある言葉で話しかけ(言)、澄んだ目で物事を見つめ(視)、耳を傾けて人の話を聴き(聴)、真心を込めて相手のことを思う(思)ということです。こうすることによって、周囲と親しみ、尊敬し、認め合う心を磨くことができるというのです。
私たちは互いに支え合って生きています。よりよい人間関係をつくっていくためには、自分の思いばかりにとらわれるのではなく、みずからを律し、研鑽し、そのうえでどう周囲の人々に尽くし、協力していけるかを考えていくことが大切といえるでしょう。

(『ニューモラル』504号より)

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