「育てる心」に気づく ~ 道徳授業で使えるエピソード~

人に注意されたり叱られたりするのは、誰しも嫌なことです。
なかでも、身近な人から叱られたりすると、ショックも大きく、落ち込んだり、相手を非難したりしがちです。
今回は、身近な人から叱られたときの受けとめ方について考えてみましょう。

■部活動の練習で

高校1年生の中島淳くんは、サッカー部に所属しています。
子供のころからサッカーが大好きで、中学時代にはサッカー部のキャプテンを務めました。高校でも迷わずサッカー部に入り、その年の秋にはレギュラーにも選ばれました。
2月のある寒い日のことです。部活動の練習中に雨が降り出しました。グランドはだんだんぬかるんできます。少しかぜ気味の淳くんは、早く練習が終わらないかと思いました。他の1年生部員もみんなそう思っているに違いありません。
しかし、2年生の先輩はなかなか練習を切り上げてくれません。
ようやく練習が終わると、2年生のキャプテン・高山くんは、1年生全員をグランドに残しました。
「今日の練習態度はなんだ! 再来月には新入生が入ってくるんだぞ! 特に今日の中島はなんだ! あんな練習をするやつに、サッカーをする資格なんかない!」
高山キャプテンは、淳くんにとってあこがれの存在でした。ゆくゆくは自分も、キャプテンのようになってサッカー部を引っ張っていきたいという目標を持っていました。そのキャプテンから、こんなにきつい調子で、しかも名指しで叱られたのは初めてでした。

■先輩の態度に傷つく

次の日、淳くんは、体がだるくて熱っぽい感じでしたが、がんばって登校しました。
午後の授業が始まる前のことです。淳くんが廊下に出ると、向こうからキャプテンがやってくるのが目に留まりました。
淳くんは、キャプテンと顔を合わせたくありませんでしたが、思い切っていつものようにあいさつをしました。
「チワッス!」
キャプテンは、ちらっと淳くんのほうを見て、うなずいたように見えました。しかし、淳くんには何の返答も聞こえませんでした。
キャプテンは、1年生があいさつをすると、必ず返答してくれる先輩として人気がありました。それだけに今日のようなキャプテンの態度はショックでした。
“キャプテンは、僕のことが嫌いなんだ……”
淳くんはそう思うと、気持ちが沈んでいくのが自分でもわかりました。
“昨日は、かぜ気味で、確かに練習に力が入っていなかった。だけど、僕なんかよりダラダラと練習していたやつだっていたのに”
淳くんの心の中は、怒りとも落胆ともわからない感情が渦巻いていました。

■山本周五郎作「蜜柑」

体がだるくて、その日から2日間、練習を休んだ淳くんは、3日目には元気になりましたが、練習に行く気がしません。
その日の1時間目の授業は、淳くんの好きな国語でした。配られたプリントには、山本周五郎の小説「蜜柑」のあらすじが書かれてありました。先生に言われて黙読するうち、淳くんはその内容に惹かれていきました。
話は、江戸中期、紀州徳川家における安藤直次と大高源四郎の物語です。

安藤直次は、徳川家康から特に選ばれて、家康の第10子、頼宣の家老となり、紀伊55万石の基礎を固めた人物である。頼宣の信頼もことのほか厚かった。その直次もついに、老齢のため危篤状態に陥ってしまった。
徳川頼宣の側近に仕える若侍、大高源四郎は、少年のころから頼宣に仕えてきた。主君のため、お家のため、という生一本な性質のために、たびたび上役や同輩と争い、失敗をくりかえしてきた。
そのため、しばしば直次にどなりつけられていた。他の者はそれほどでもないのに、直次は、源四郎にだけは辛辣だった。源四郎は、直次から嫌われているとも憎まれているとも思っていた。が、直次が傑物であるだけに、自分1人が疎まれていると思うとさびしかった。
それゆえ、危篤状態の直次の病床に呼ばれた源四郎はうれしかった。ところが、この期に及んでまでも、直次から厳しい叱責を受けた。
「そのほうは、まだ、まことの御奉公というものを知らぬ。そのような未熟なことでは一人前のお役には立たんぞ!」
一瞬のうちに蒼白になった源四郎は、無念さにうちふるえた。
“直次様は自分を憎んでいるのだ。自分の気持ちは、結局、直次様にはわかってもらえないのだ……”
源四郎は、悔し涙を流しながら、直次の病床を退いた。
それから数日後、直次は82歳で亡くなった。
その後、源四郎は、家中の者といさかいを起こしたことが原因で、主君、頼宣から厳しいおとがめを受けた。そして、頼宣の側近という重要な役職から、蜜柑畑の宰領(監督役)をするという閑職へと左遷させられてしまった。
黙々と蜜柑畑で働き続ける源四郎。そのまま2か月あまりが経過した。
ある日、ふいに頼宣が蜜柑畑に現れた。源四郎は頼宣に、江戸への使者に立つよう命じられた。幕府が、紀州家に謀反の疑いをかけてきたので、その申し開きをするための使者である。申し開きのしようによっては、紀州家がおとりつぶしになってしまうかもしれないという、大切なお役目であった。
そんなお家の一大事を、主君から直接任された源四郎は、感激に胸がふるえた。そしてこの時、頼宣は、最後に一言、源四郎に言い置いた。
「安藤直次の墓に参ってゆけ。直次は、誰よりもそちに望みをかけていた。誰よりもそちの身を案じていたぞ」
源四郎は、はっと眼を見開きながら、夢からさめたように頼宣を見上げていた。
“そうだったのか。直次様は、自分のような者にそんなにも期待していてくださったのか……”
それから数日後、紀州から江戸へ向かう途中、三河にある安藤直次の墓前に、旅姿の若侍の姿があった。危篤の病床で「今年の蜜柑が食べたかった」と言っていた直次の墓に蜜柑を供えて、源四郎は、墓前に額ずき、むせび泣いた。そして、このたびのお役目、まことの御奉公として、きっと見事に果たします、と直次の墓に誓ったのだった。

■厳しさの奥にあるもの

淳くんは、「蜜柑」を読みながら、キャプテンのきつい言葉が、頭の中に何度も浮かんできました。そのうち、以前、キャプテンから聞いた言葉が、思い出されてきました。
「試合に勝ったか負けたかというのは結果なんだ。結果よりも過程を大切にして、毎日の練習を大切にしよう」
「サッカーは1人でやっているんじゃない。部員どうしの信頼がなければ、力があってもその半分しか出せない」
そんな言葉を思い返しながら、淳くんは、“キャプテンが僕のことを厳しく叱ったのは、僕のことが嫌いなんじゃなくて、何かに気づいてほしかったからじゃないだろうか”と考えるようになっていました。
淳くんは体の奥から力が湧いてくる気持ちでした。

■「育てる心」が見えてくる

私たちの周りには、親や学校の先生、部活動の先輩や職場の上司など、私たちを育ててくれる人がいます。
そういう人から叱られると、気持ちが落ち込んだり、感情的になって相手を非難する気持ちになりがちです。そんなときは、相手がどういう思いで叱ったのかに気づく心の余裕を失っていることが多いものです。
しかし、角度を変えて眺め直してみると、叱ってくれた人が、自分を育てようとしてくれている心が少しずつ見えるようになってきます。ときにそれは、感謝しても感謝しきれないほど大きな恩恵であることに気づくこともあるのではないでしょうか。

(『ニューモラル』414号より)

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