「意味」を見いだす ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちは、自分の意に染まない事態に直面すると、不平や不満を抱いたり、イライラを募らせたりするものです。そうした気持ちは、知らず知らずのうちに態度に表れ、周囲にも不和をもたらすことになるでしょう。
いかなる事態に直面しようとも、これを穏やかな心で受けとめ、前向きに人生を歩んでいくためには、どのような心がけが必要でしょうか。

■診療所の待合室で

ある土曜日の朝のことです。会社員の山田さんは、町の診療所の待合室で、壁に掛けられた時計を落ち着きなくチラチラと見上げていました。
“もう1時間以上待っているのに……”
前回、土曜日の午前中に来たときは、診療開始の時点で10人以上が並んでおり、2時間近く待つことになりました。そこで、今回は早めに家を出てきたのです。そのかいあって、到着時、山田さんの前には2人しかいませんでした。
しかし、定刻を過ぎても診察が始まる気配はありません。それというのも、診療所内のパソコンのトラブルで、カルテ作成などの事務手続きが一切できない状態になっているようなのです。
カウンターの向こう側では、職員が必死にパソコンの復旧作業に取り組んでいます。受付を任された看護師は、待合室に人が入ってくるたびに事情を説明しています。
早めに並んだ分、長く待たされることになった山田さんは、心中穏やかではありません。 “せっかく早く来たのに、これでは意味がないじゃないか”

■見苦しい行為

やがて待合室のソファーはいっぱいになり、立って待つ人も出てきました。
そのときです。受付に向かって、60代くらいの男性が怒鳴り始めました。
「おい、いつまで待たせるんだ! こっちはインフルエンザの予防接種に来ただけだ。パソコンなんか使わなくても、問診票を見て手書きで処理すれば済むじゃないか」
待合室に緊張が走ります。怒りを直接ぶつけられた看護師は「申し訳ありません。すべての情報をパソコンで管理しているので、そういう対応はできないんです」と、消え入るような声で答えます。
「チッ……」
男性は舌打ちをすると、待合室から出ていってしまいました。
山田さんはこのやり取りを見て、余計に気分が滅入ってしまいました。
“待たされているのは皆同じなんだ。あんな大声を出されたら、周りだって気分が悪いじゃないか。見苦しいやつだな”
山田さんは、自分もイライラしていたことは棚に上げて、その男性を心の中で非難するのでした。

■人のふり見て「わが心」を直せ

手持ちぶさたの山田さんは、待合室の壁に目をやりました。そこにあった、携帯電話やスマートフォンの使用についてのマナーを呼びかけるポスターを、なんの気なしに眺めるうちに、ふと思い出したことがありました。

それは、お盆に郷里へ帰省したときのことでした。実家の両親をはじめ、山田さんの一家とお兄さんの一家がそろった食卓で、大学生になった甥の大樹君が、こんな話をしていたのです。
「大学は楽しいんだけど、講義中にこっそりスマホをいじっている人がいたりするんだ。そういうのを見ると、なんだかイライラしちゃって……」
すると、中学校の教員だった功さん(72歳)が言いました。
「大樹は『人のふり見てわがふり直せ』ということわざ、知っているよな」
「他人のよくない行動を見たときは、自分自身を振り返って、悪いところを改めなさいっていう意味だよね」
「そのとおりだよ。大樹は同級生の悪いところを見て、どう思ったのかな」
「同級生といっても、よく知っている友だちばかりじゃないから、僕が注意するのもなんだし、先生がきちんと気づいて注意してくれればいいのにって……」
その言葉に、功さんはうなずきます。
「そうか、大樹はその子たちに何も言わなかったんだね。……確かに道端や電車の中で知らない人に注意するとしたら、おじいちゃんもちょっとためらうかな」
「えっ、おじいちゃんは学校の先生だったんだから、普通に注意できるでしょ?」
「もちろん自分の生徒なら叱るさ。でも、電車の中でのちょっとしたマナー違反なんかは “あまり事を荒立てても……” と思って、目をつぶってしまうこともある。そんなとき、自分では何も行動を起こさないのに、心の中で他人を責めるのは、道理に合わないだろう? だからせめて『人のふり見てわがふり直せ』ではなく『人のふり見てわが心を直せ』って、自分に言い聞かせるんだ。
相手を思いやって注意をするのならまだしも、感情に任せて相手を責めるのは、自分1人の心の中のことではあっても『いいこと』とはいえないからね」

山田さんは父親の言葉を思い出すうちに、看護師に向かって文句を言う男性を見たときの「わが心」を振り返る気持ちになっていました。
“そういえば……自分もあの男性と同じようなことを考えていたじゃないか”
あらためて先ほどの光景を思い返してみると、自分自身の心を鏡で見たような、不思議な思いがしてきたのです。“見苦しい” と感じた男性の姿は、心の中で不満を膨らませながら他人を責めている “自分の心の見苦しさ” そのものだったと気づいた瞬間でした。

■和やかな雰囲気

「山田さん、お待たせしました」
山田さんが診察室に入ると、院長が申し訳なさそうに言いました。
「お待たせしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「いえ、大変でしたね」
穏やかに応じる山田さんの様子に、院長もほっとしたようです。
「いやあ、医者は人の病気は治せても、パソコンは直せないんですよ」
「それはそうですよね」
2人は顔を見合わせると、朗らかに笑い合いました。
山田さんは、自宅への道を歩きながら、こんなことを考えました。
“もし父さんの言葉を思い出さなかったら、愚痴の1つも言いたくなっただろう。そんな気持ちでいたら、院長ともあんなふうに話せなかっただろうし、心の中のイライラが態度に表れて、周りの人にもいやな思いをさせていたかもしれない”
山田さんの足取りは、朝に家を出たときよりも軽やかなものになっていました。

■「自分の受けとめ方」1つで

私たちは、自分の意に染まない事態に直面したり、思いがけないトラブルに見舞われたりすると、憂鬱な気分になるものです。
そうしたときは “こんなことになったのは他人や環境のせいだ” と考えるほどに、不平や不満、イライラが募っていきます。その気持ちを相手にぶつければ、不和や争いの原因になるでしょう。一方、自分の心の中に押し込めたなら、徐々にストレスがたまって、自分自身を苦しめることになるでしょう。
ひとたび起こってしまった事態は、元に戻せるものではありません。しかし、いつ、いかなるときも、自分の心一つで変えられることがあります。それは「自分はその出来事をどのように受けとめるのか」という点です。
自分の目の前で起こった出来事は、その原因が自分自身にあるかどうかを問わず、「この出来事は、自分にとってどんな意味を持っているのか」「この経験を、今後にどう生かすことができるのか」について、建設的に考えてみたいものです。どのような出来事も、受けとめ方次第で、自分にとってプラスにもマイナスにもすることができるのです。
私たちの人生は、新しい出来事との出会いの連続です。大切なことは、その出来事を「どのような心で受けとめるか」です。日々の生活の中で心に何を思い、何に心を動かし、物事をどのように判断していくか。そうした心の姿勢こそが、喜びの多い人生を築く鍵となるのです。

(『ニューモラル』569号より)

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