よかれと思ってしたこと ~ 道徳授業で使えるエピソード~

相手のためによかれと思って起こした行動や、よかれと思ってかけた言葉が、かえって相手に不快感を与えたり、相手を傷つけたりすることがあります。
「その人の力になりたい」という気持ちを生かしきり、自分にとっても相手にとってもよい結果を導くためには、どのような心がけが必要なのでしょうか。

■香織さんの失敗

香織さん(32歳)は、3か月前からパートとしてカルチャーセンターで事務の仕事をしています。
カルチャーセンターでは、ヨガ教室や文章講座など約50もの講座が開かれていて、幅広い年齢層の人たちが学びに訪れます。香織さんの仕事は、そうした受講生の受付や問い合わせへの対応を中心とした、講座運営のサポートです。もともと人と接することが好きな香織さんは、職場の雰囲気にもすぐになじみ、やりがいを感じながら仕事に取り組んでいました。
そんなある日のことです。
香織さんが1階の窓口で仕事をしていると、書類の束を抱えた女性の受講生が、慌てた様子で飛び込んで来ました。
「今日の授業で発表をしなければならないので、皆さんにお配りする資料をコピーしていたら、突然機械が止まってしまったの。2階のコピー機なんだけど……。ちょっと見に来てもらえないかしら」
相手が急いでいるらしいことを察した香織さんは、気を利かせたつもりで「元の原稿はお持ちですか? お持ちでしたら、コピー機はこのフロアにもありますので、そちらをご利用ください。機械は後で見ておきますから」と言いました。
すると女性はむっとした表情になり、強い口調でこう言いました。
「1階のコピー機が混んでいたから、わざわざ2階に行ったの! それに、急いでいるのよ!」
突然、怒りをぶつけられた香織さんは、頭の中が真っ白になり、ただおろおろするばかり。それを見かねて、ベテラン・スタッフの田中さん(50歳)が駆け寄ってきました。そして、田中さんが女性と一緒にコピー機の具合を確かめに行ってくれたため、その場はなんとか収まったのでした。

■どうしたらよかったの?

香織さんは周囲から「よく気がつく人」と評されることが多く、自分でもそのように心がけてきました。今のパート勤めを始めてからも、受講生から個別の要望や問い合わせを受けたときは、状況に応じて手際よく対応してきたつもりです。それだけに、香織さんの胸には “あのお客様も、そんなに急ぐのだったら、もっと早めに資料の準備をしておけばいいのに……” という不満もわき起こってくるのでした。
やがて、田中さんが対応を終えて窓口に戻ってきました。香織さんが「さっきは申し訳ありませんでした」と声をかけ、お礼を言うと、田中さんはいつもどおりの穏やかな表情で、こう慰めてくれました。
「突然のことで、びっくりしたでしょう。コピー機はすぐに直って、授業の準備も間に合ったようだから、安心してね」
田中さんの温かい言葉に触れた香織さんは、気持ちが落ち着いてくるにつれて、ふと考えさせられました。
“田中さんはあのお客様とも上手に接していたのに、どうして私にはできなかったんだろう……”

■思いに耳を傾ける

翌日、香織さんは思い切って、田中さんに「昨日のお客様の件で気になっていることがあるので、話を聞いていただけませんか?」と、お願いしてみました。
「……実は “あのお客様と顔を合わせたら、またお叱りを受けるんじゃないか” と思って、びくびくしているんです。あのときはお急ぎのようでしたし、1階のコピー機をお使いいただいたほうが早いと思って、そう申し上げたんですが」
すると、田中さんはこんな話をしてくれました。
「お客様への対応って、難しいわよね。こちらとしてはよかれと思ってご案内したのに、相手に満足していただけなくて落ち込むことは、私もよくあるのよ。
あのお客様は、急いでいるというのもあったけれど、自分がコピー機を壊してしまったんじゃないかという不安もお持ちのように感じたわ。それで、2階に向かうときに『お急ぎのときに機械が止まるなんて、焦られたでしょう。紙詰まりでしたら、すぐに直せると思いますから』と声をかけたら、少し落ち着かれたみたいよ」
田中さんの話を聞いているうちに、香織さんは、自分が相手の本当の思いに耳を傾けようとしていなかったことに気づきました。そして “早くコピーが済めば満足されるだろう” という勝手な判断を押し付けたうえ、怒らせてしまった相手に対する不満さえ抱いていたことが、恥ずかしくなりました。

■自分勝手な思いやり?

私たち1人ひとりは、それぞれ異なった立場や境遇に身を置いており、物事の見方や考え方にも、大きな違いがあります。
ところが日常生活では、ややもするとその事実を忘れ、自分本位の考えで物事を判断して、自分がよいと思ったことを他の人に強く勧めてしまう場合があります。そんなときは1度立ち止まり、相手の気持ちや状況に思いをめぐらせてみなければ、せっかくの善意も押し付けがましく受け取られたり、かえって相手に迷惑や不快感、余計な苦痛を与えたりすることにもなりかねません。
そうしたことは、「困っている人を助けたい」という思いに駆られて行動するとき、特に起こりやすいものです。介護や看護をはじめとするケア(お世話)を行う際、また、人の心の深い部分に触れる際は、とりわけ注意しなければなりません。
近しい人を亡くして悲嘆(グリーフ)に暮れている相手と関わりながら、その立ち直りを支援する仕事を「グリーフケア」といいます。これに長年携わる髙木慶子さん(上智大学グリーフケア研究所所長)は、著書の中で次のように述べています。
グリーフケアは、1段高いところから弱者を救済するような仕事ではありません。相手と同じ目の高さに身を置き、心に寄り添い、悲しみに共感しながら、その方がみずから立ち上がるためのお手伝いをすることです。その役目を表す適切なことばをさがすならば、カウンセリングではなく「関わり」を持つことだと、私は思っています。そして、人の数だけ悲嘆のプロセスがあるのです。悲しむ心に関わろうとするならば、真っ先に考えなければならないのはケアのノウハウではなく、自分が関わろうとしている相手が何を必要としているかということでしょう。(中略)自分の身近なところで苦しんでいる人の力になりたいと思ったときは、「力になりますよ」と一方的に相手の胸の内に飛び込んでいくのではなく、「あなたの悲しみに寄り添うことを許していただけますか?」と、最初におことわりしたほうがいいでしょう。(髙木慶子著『悲しんでいい――大災害とグリーフケア』NHK出版新書より)

■相手を尊重する理解的態度

人が深い苦悩のただ中にあるとき、不用意な助言や励ましは、かえって相手の心を傷つけるものです。必要なことは、何よりも相手の立場に立って考え、その発する言葉と、そのもとにある心の声に、謙虚に耳を傾けることなのでしょう。
また、私たち自身の心は、他の人との「関わり」を通して磨かれていくものです。自分の善意がそのまま相手に受け入れられなかった場合も、ますます謙虚な心で人と関わっていこうとすることで、私たちの周囲には、温かい人間関係がいっそう広がっていくことでしょう。

(『ニューモラル』509号より)

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