「見えないもの」へ思いを向ける ~ 道徳授業で使えるエピソード~

私たちは当たり前に社会生活が送れるものと思っていないでしょうか? 気づいていますか? 周囲の人々の努力に。

■けんか

中学2年生の紀子(のりこ)さんは、4月から学級委員になって、張り切った毎日を送っていました。
ある日、クラスに配る資料づくりをしていた紀子さんは、数学の授業に少し遅れてしまいました。先週も同じ授業に遅れたことがあったため、先生から少し厳しく叱られてしまいました。
その日の夕方、幼なじみで同じクラスの由美(ゆみ)さんといっしょに下校した紀子さんは、叱られたくやしさをこぼしました。
「ちょっと遅れただけなのに、あんなにきつく言わなくてもいいと思わない?」
内心、自分では授業に遅れたことを反省しながらも、由美さんが同情してくれるものと思っていました。
「でも紀ちゃん、授業に遅れたの、今日が初めてじゃないよね。やっぱり時間は守ったほうがいいよ」
由美さんにそう言われて、紀子さんは驚きました。反論されるとは思っていなかったのです。
「そういう言い方はないでしょ。私は学級委員の仕事を一生懸命やっていて遅れたんだから。由美に私の気持ちなんて分からないわよ。だって由美は美化係じゃない!」
“いけない”
紀子さんは言ってしまったあとで思いましたが、もう後の祭りです。ばつが悪くなって、そのまま家への道を走り出してしまいました。
夕食の時間になっても、紀子さんの気持ちはすっきりしません。

■誰もが落ちる“落とし穴”

その日の夕食後、紀子さんは父親の義雄(よしお)さんにその日の出来事を打ち明けました。
「なるほど。紀子にしてみれば、自分でも悪いと思っていたのに、由美ちゃんを傷つけてしまったわけだ。それはちょっとつらいよな」
紀子さんは、自分の気持ちをお父さんに理解してもらい、うれしくなりました。
「お父さん、最近の私、本当に頑張っていたんだよ。学級委員って、思っていたよりやらなきゃいけないことがたくさんあるの。由美は美化係だから、そんな大した仕事じゃないんだし……」
お茶を見つめていた義雄さんは、一息ついて言いました。
「紀子が頑張っていたことはよく知っているよ。お母さんが紀子の頑張りをほめていたからね。一生懸命にクラスや仲間のために努力することはすばらしいことだと思う。けれど、一生懸命には“落とし穴”があってね」
「えっ、落とし穴?」
「そうなんだ。大人になっても、よくおっこちる“落とし穴”。
簡単に言えば、一生懸命はいいんだが、それが過ぎると大事なことが見えなくなるということかな」
「ふーん……」
意味が分からない紀子さんに、義雄さんは、以前、自分が経験したことを話しました。

■飛行機が飛ぶのは誰のおかげ?

義雄さんが島根県に出張したときのことです。この島根行きの仕事は急に決まったことでした。義雄さんは事前の資料づくりや準備などを懸命に行い、羽田空港に駆けつけました。
ところが、飛行機の整備不良が見つかったために出発は30分も遅れてしまいました。義雄さんはイライラしながら、石見空港へ向かう飛行機へ乗り込みました。
義雄さんの席は、左の翼に近い通路側でした。隣の窓側の席には、60代と思われる男性が座っていて、食い入るように窓の外を見ていました。
飛行機は滑走路へと動き始めました。すると、突然、男性は座ったまま外に向かって挙手の礼をしたのです。義雄さんは驚いて、男性の脇から窓の外をのぞいてみると、作業員が飛行機に向かって手を振っていました。
しばらくして、義雄さんは隣の男性に声をかけてみました。
「失礼ですが、先ほどの作業員の方はお知り合いなのですか?」
「ああ、驚かせてしまいましたか。実は、私は最近まで航空自衛隊で輸送機のパイロットをしていたのです。ですから、ついくせで……」
「そうですか。でも、なぜ作業員の人に?」
「飛行機は、パイロットの操縦だけで飛んでいるのではないんです。給油や整備をしてくれる作業員のおかげで飛ぶことができます。パイロットに比べると地上作業員は目立ちませんが、多くの作業員のおかげで安全に飛ぶことができるのです。この飛行機だって同じです。
特に今日のように遅れたときには、作業員は懸命に遅れを取り戻そうとします」
それを聞いて、義雄さんは確かにそうだと思いました。自分を振り返ってみると、悪天候の中を見事な離着陸を行うパイロットに敬意を感じたことはあっても、地上作業員のことを気にかけたことはなかったからです。
義雄さんのイライラした気分も、いつのまにか消えていました。

■一人ひとりが支え合っている

いつになく、まじめな顔で聞いていた紀子さんが言いました。
「なるほど。見えないところで、人は人に支えられているのね……。私は頑張り過ぎて、そのことが見えなくなっていたということなの?」
「もちろん、紀子がそうだと決めつけるわけじゃないけれど、美化係が大した役割じゃないと思っているのなら、少し違うと思うな」
そこへ、食事の後かたづけがすんだ母親の昌子(まさこ)さんが声をかけました。
「こうやって、毎日、食事の後かたづけをしているでしょう。紀子もときどき手伝ってくれるから分かると思うけれど、台所仕事をやっていない人には、その大変さがなかなか分からないでしょう。
同じように、私たちにはお父さんの仕事の大変さは分からないわ。家庭でもそうやって一人ひとりが支え合っている。家でも、学校でも、会社でも、毎日が当たり前のように過ぎていくけれど、そのためには、それぞれが大事な役割を持っていると思うの」
「そう言われてみれば、美化係の仕事を少し軽く見ていたかもしれない……。でも由美をバカにしていたわけじゃないよ」
「分かっているわよ。紀子、美化係の仕事を、しばらく気をつけて見てみたらどう?」

■恩恵に気づく喜び

私たちには、ふだん見ていても、“見えていない”ことがあります。
ふだんの生活が“当たり前”に送れるものと思っていたり、自分は人よりも一生懸命に仕事をしていると思っていると、身近な相手や周りの一人ひとりが持つ大切な役割や尊い努力などが見えにくくなるものです。
私たちが社会生活を送るには、意識していなくても、何らかの形で必ず他の人々から支えられています。そうした社会の恩恵に思いを向けることが、感謝と喜びのある生活を築いていく第一歩といえるのではないでしょうか。

(『ニューモラル』393号より)

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