「育てる心」が育つとき ~ 道徳授業で使えるエピソード~
家庭内での子育てだけでなく、職場や学校での後輩の指導など、私たちはさまざまな場面で「育てる」ということを経験します。その中で、自分の思うようにならないときは、それをどうとらえ、どのように相手と向き合えばよいのでしょうか。
今回は「育てる」ということを通した「人と人との心の通わせ方」について考えます。
■何度教えたらいいの?
“だんだん自分が嫌な人間になっていくような気がする……”
働き始めて6年目になる真理さん(28歳)は、最近、会社に行くのが憂鬱(ゆううつ)です。
今年度、真理さんが所属する総務課には、新入社員の岡本さん(23歳)が配属されました。同じ担当に初めて後輩を迎え、張り切っていた真理さんですが、数か月がたった今、どうもうまくいっていません。
“どうして岡本さんは、同じことを何度教えても覚えてくれないんだろう……。いい加減にしてほしい”
真理さんの不満は、それだけではありません。総務課の窓口へ他部署の人が書類を提出しに来ても、岡本さんは気づかないのか、すぐに対応しようとしないのです。「私たちの仕事は、他部署の人が働きやすいように環境を整えること。社内の人に対する窓口対応も、重要な仕事」と、何度も言い聞かせているのに……。
そんなある日の朝。これまでに何度も教えたことについて、また質問を受けた真理さんは、思わず強い口調で詰め寄ってしまいました。
「この前も同じことを聞かれた気がするけれど、覚えていないの?」
すると岡本さんは、謝るどころか、居直ったかのようにこう言いました。
「念のため確認してからのほうが間違いがないと思ったから、聞いただけです。それに『分からないことは聞いて』って言ったのは、先輩じゃないですか」
思いがけない反発を受けて、真理さんはとっさに返す言葉がありません。その後はお互いにムッとしたまま、仕事を続けたのでした。
■「心」は見えていますか?
イライラが収まらない真理さんは、親しくしている先輩の晶子さん(31歳)に相談することにしました。
晶子さんは、真理さんが就職した当初に指導をしてくれた先輩です。現在は転職し、大学の事務職員として働いています。
その週末、晶子さんと食事をすることになった真理さんは、行きつけの店に入って注文を終えるやいなや、後輩の岡本さんについて困ったことを、堰(せき)を切ったように話し始めました。
――何度教えても、覚えてくれない。もう半年もたつのに、どうしてこんなにできないのだろう? 一緒に入った他部署の新入社員と比べると、余計に腹が立ってしまう……等々。
晶子さんは真理さんの話を、うなずきながら聞いてくれました。
真理さんがひと通り話して落ち着いたころ、晶子さんは自分の失敗体験について話してくれました。
「今の勤め先の大学で、就職活動中の学生から質問を受けたときの話なんだけどね……」
あるとき2人の学生が、それぞれに希望する職種についての質問をしてきました。それまでやり取りをしてきた中で、2人とも力のある学生だと思っていたため、晶子さんは「まずは自分で調べてみたら?」と伝えました。
晶子さんは優しく言ったつもりでしたが、心のどこかには“このくらい、自分で調べないでどうするの?”という気持ちがあったのも事実です。
すると1人の学生は、次の日には「自分で調べたら、ここまで分かりました」と言って報告に来てくれましたが、もう1人は、晶子さんと目が合うのを避けるような態度をとるようになりました。その後、この学生と話をした同僚によると、晶子さんのことを「指導が怖かった」と言っていたようです。
「前に相談に来たときの受け答えはしっかりしていたから、あのときも大丈夫だろうと思ったんだけど、表面的な部分だけを見て、相手の不安な気持ちを受けとめようとしていなかったのよね。“この人なら大丈夫だろう”と思って油断をしていると、傷つけてしまうことがあるんだなって反省させられたわ。
それに、同じ人に同じことを言っても、相手が元気なときと嫌なことがあった日とでは、受けとめ方も違ってくるんじゃないかしら。実はその学生は、ゼミでも先生から注意を受けたばかりだったようで、余計に落ち込んでしまったみたい。
よかれと思って指導をするのでも、タイミングをはかったり、相手の表情や態度の微妙な変化を感じとる感性を磨いたりすることも必要なんだなと思って、それからは少し気をつけるようにしているの」
■「魅力」を見いだす
真理さんは、晶子さんの話を聞きながら、岡本さんとのやり取りを思い出していました。それまでの自分は、岡本さんのできないところばかりを責めて、岡本さん自身が現状についてどのように感じているのかを聞こうともしていなかったことに、気づいたのです。
そのときふと、自分の新入社員時代のことを思い出しました。
「そういえば……私も仕事を始めたばかりのころ、1度教わったことでも、不安で何度も晶子さんに確認しちゃっていましたね」
すると晶子さんは、笑いながらこう言ってくれました。
「真理はマイペースなところもあるけど、一生懸命なのは分かっていたからね。相手の“いいところ”が見えてくると、接しやすくなる部分もあるのかもね。短所と思っていた部分でも、見方を変えれば長所になることだってあるんじゃないかな」
真理さんは晶子さんの話を聞いて、岡本さんの短所だと思っていた部分の見方を改めてみようと思いました。そこで自宅に帰ると早速、自分なりの言葉で岡本さんの特徴をノートに書き出してみたのです。
○すぐに言い訳をする
→ 自分の考えを持っている
○人の出入りに気がつかない
→ 仕事に集中している
○同じ質問を何度もしてくる
→ 慎重
○注意されても平気な顔をしている
→ 度胸があって、立ち直りが早い
○同時に2つ以上の仕事ができない
→ 1つ1つの仕事に丁寧に取り組んでいる
こうして並べてみると、少しずつですが、岡本さんのことを受け入れやすくなった気がしてくるのでした。
■「とらわれ」から抜け出す
人は皆、大勢の人との関わり合いの中で生きています。
自分の考えや価値観にとらわれがちになるとき、まず思い起こしたいのは「自分もまた、相手を含むさまざまな人たちから支えられている」ということです。すると、固くなっていた自分自身の心が少しやわらぎ、より広い視野で物事をとらえられるようになるのではないでしょうか。そうして相手の「心」に思いを馳せてみると、これまでは気がつかなかった相手の思いや、その長所に気づくこともあるでしょう。
相手を無理に変えようとしなくても、自分の考えを少し変えてみることで、状況は変わっていきます。こうして相手の成長と幸せを心から祈る気持ちになったとき、心と心は通い合い、お互いに安心のある人間関係が築かれていくことでしょう。
(『ニューモラル』531号より)
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