共に生きる喜び ~道徳授業で使えるエピソード~


「人は一人では生きていけない」といわれます。それは人間が社会性を持ち、さまざまな集団に属して支え合うことで、初めて生きていける存在であることを意味しているのでしょう。
今回は「共に生きること」の意味について、ボランティア活動の例を通して考えてみましょう。

■「ボランティア」って、なんだろう

健太さん(19歳)は、この春、地元の大学に入学しました。
幼いころから、どちらかというと大人しい性格だった健太さん。入学当初は授業についていくだけで精いっぱいでした。しかし、数か月がたってキャンパスライフにもだいぶ慣れ、授業だけの生活に物足りなさを感じるようになったころ、友人の勧めで学内のボランティアサークルに入ることになりました。
そのサークルでは、町づくりから災害支援、さらには国際協力まで、幅広い活動を行っているということです。勧めてくれた友人の話を聞いていると、そこでの活動は、小学生のころに両親と一緒に参加した町内の清掃活動等とはまったく別物のように思えました。
いざサークルに入ってみると、活動日が授業やアルバイトと重なったり、企画内容に関心が持てなかったりして、なかなか参加できませんでした。そんな中、積極的に国内外のボランティアに取り組んでいるメンバーがおみやげ話で盛り上がっているところを目にすると、あまり活動できていない自分に引け目を感じてしまいます。
生き生きとした表情で語る仲間たちの行動力や意識の高さに感心する一方、健太さんの胸の内にはこんな疑問がわいてくるのでした。
“ボランティアって、一体なんだろう”

■初めての交流会

そんなある日のことです。さまざまな大学のボランティア団体が集う交流会に誘われた健太さんは、ほかに予定がなかったこともあり、なんとなく参加してみることにしました。
当日の朝、都内の大きな会場に集まったのは、数十のボランティア団体と、そこに所属する数百人の学生たち。健太さんと同じ1年生も大勢いました。初めて顔を合わせる者同士が多かったはずですが、みんな会場に入るなり、ほかの大学の人たちともすぐに打ち解けて情報交換を始め、あたりはたちまちにぎやかになりました。
健太さんはというと、プログラムが始まってからも交流の輪には溶け込めず、一緒に参加した友人たちとも離れて、会場の隅で講演を聞くだけです。
“もう帰りたい。早く終わらないかな”
時計を気にするうちに、午前中のプログラムも終盤に近づいていきます。そして、最後に質疑応答が行われました。
「ボランティアを始めたいと思うのですが、何をすればいいでしょうか」
そんな言葉が耳に入り、健太さんは思わず顔を上げました。発言したのは、健太さんの隣に座っていた男子学生です。続いて、ほかの参加者からもこんな質問が出てきました。
「個人でやる活動は『ボランティア』とは言わないのでしょうか」
「ボランティアは、どこに行ったらできますか」

■自分だけじゃないんだ

「ひと言でボランティアといっても、種類も内容もいろいろあります。一般的には、他人や社会のために何が必要かを考えて、無償で主体的に貢献することとされますから、どこかのボランティア団体に属していなければできないということはありませんし、活動の形態も特に決まったものがあるわけではありません。
例えば、道端に落ちているゴミを拾うことだって、立派なボランティアではないでしょうか」
そんなやり取りを聞くうちに、健太さんは両親に連れられて町内の清掃活動に参加したときの、すがすがしい気持ちを思い出しました。ところがそれは、大学で出会ったサークルの仲間たちの活動と比べると、あまりにも小さなことに思えて、胸を張って「自分もボランティアをしている」とは言えなかったのです。
“こんなことを考えていたのは、自分だけじゃなかったんだ”
ようやく興味がわいてきた健太さんは、“もう帰りたい”という思いから一転、午後のプログラムにも参加してみることにしました。

■「ボランティア」へのとらわれ

午後には分科会が行われました。
「ボランティア入門」という、今の自分にぴったりのテーマが目に留まり、思い切って一人で飛び込んでみた健太さん。そこでは自分と同じように“ボランティアって、なんだろう”と考えていた人たちに、大勢出会うことができました。そして話し合いに参加するうちに、こんなふうに思ったのです。
“自分が抱いていたボランティアへの疑問は「ボランティアというからには大きくて立派な活動」というような、無意識のうちに膨らませた勝手な思い込みのせいだったのかもしれないな……。「自分なりにできること」で、よかったんだ”
分科会が終わると、なんだか前向きな気分になっていた健太さんでした。

それからの健太さんの日常には、少し変化がありました。
授業やアルバイトがない日には、地元での清掃活動や学内での留学生の支援活動など、「自分なりにできる範囲の身近な活動」を見つけて、少しずつ参加するようになったのです。また、春休みに向けてサークルで企画している地域の子供たちを対象としたイベントにも参加することを決め、事前準備やミーティングにも出席するようになりました。

■「できること」を見いだす

健太さんは「ボランティア」という言葉にとらわれすぎて、心のどこかで“特別な活動でないといけない”と思っていました。そのことで、一歩を踏み出せずにいたようです。もともと「他人や社会の役に立つ」ということに否定的だったわけではありません。ただ「どうすればいいのかが分からない」という思いが、健太さんの行動を縛っていたのです。
私たちは社会の中で、大勢の人たちと支え合って生きています。それはお互いの違いを認め合い、理解し合うことから得られる「共に生きる喜び」を味わうことでもあるのではないでしょうか。
ボランティアの場合も、単に「誰かに何かをしてあげること」というわけではありません。活動の中で関わった人たちから学ぶことがあったり、「自分自身もこうして支えられている」という点に気づいたり、自分の中に眠っていた能力や新たな可能性を見いだしたりと、最初の一歩を踏み出せば、自分自身も必ず得るものがあるでしょう。さらに、相手の喜びに触れる経験を通じて「自分も役に立つことができた」という実感が得られたなら、それは何よりの喜びとなるはずです。

(『ニューモラル』578号より)