母に感謝する日~道徳の授業で使えるエピソード~


生みの親にしても育ての親にしても、私たちにとって大きな存在である「親」への感謝の気持ちを、どのように表すことができるでしょうか。
今回は「親の恩」と「親孝行」について考えます。

◆「母の日」のカーネーション

5月のある朝のことです。良雄さん(45歳)は、食卓にカーネーションを生けた花瓶があることに気づきました。朝の身支度の手を止めて花を眺める良雄さんに、食事の準備をしていた妻の靖子さん(43歳)が声をかけます。
「きれいでしょう。恵が昨日、学校の帰りに買ってきてくれたのよ」
恵さん(15歳)は今年、高校に入学したばかり。最近は電車通学にも慣れて余裕が出てきたのか、「母の日」を前にした花屋のにぎわいに目を留めたようです。
「でも、これを見た健一がお姉ちゃんのまねをしたくなったのか、『僕も花を買ってくる』と言って、昨日は大騒ぎだったのよ」
小学4年生になった健一君(9歳)は、地元のサッカークラブに入り、毎日のようにグラウンドを走り回っています。
「ところで今年の『母の日』は、どうする? 最近バタバタしていたけれど、お花の手配をするなら急がないと……」
毎年「母の日」には、遠方で暮らす両家の母親に、花を贈っていた良雄さんと靖子さん。良雄さんが答えます。
「毎年花というのも芸がない気がするし、お菓子なんかだと、一人暮らしのおふくろは持て余すだろうし……。そうだ。今度の日曜日は健一のサッカーの練習もないし、久しぶりに元気な顔でも見せに行ってくるよ」

◆「お父さんのお母さん」だから

「母の日」当日の朝、良雄さんは健一君を連れて、母親の秀子さん(72歳)が暮らす実家に向かいました。靖子さんたちは、恵さんの学校関連の買い物を済ませてから、車で出発する予定です。
電車に2時間近く乗って、実家の最寄り駅に着くと、健一君が「カーネーションを買いたい」と言い出しました。
“後で靖子にプレゼントするのかな?”
そんなことを考えながら、健一君と一緒に駅前の生花店に入った良雄さん。店内には手ごろな花束から豪華なフラワーアレンジメントまで、さまざまな商品が並んでいます。健一君は貯めていたおこづかいで、小さな花束を買いました。

「健ちゃん、良雄、いらっしゃい」
実家に着くと、秀子さんが笑顔で玄関を開けてくれました。ところが健一君はいつになくもじもじとして、なかなか上がろうとしません。
「健ちゃん、お昼まだでしょう? 用意はできているから、お上がんなさいな」
秀子さんがうながすと、健一君は意を決したように、花束を差し出しました。
「何? おばあちゃんにくれるの?」
驚く秀子さんに、健一君は言います。
「今日、『母の日』だから……」
「そうかあ、ありがとう。でも私、 健ちゃんのおばあちゃんだけど、いいの?」
「うん。おばあちゃんは『お父さんのお母さん』だから。それじゃ、おじいちゃんにお線香をあげてくる!」
そう言うと、健一君は仏壇の前に走っていきました。
孫からの思いがけないプレゼントに、秀子さんはますますうれしそうに目尻を下げるのでした。

◆自分を生んでくれたのは……

夕方近くには靖子さんと恵さんも到着し、秀子さんを囲んで夕食をとることになりました。家族で和やかに談笑する中、秀子さんが健一君に尋ねます。
「ところで健ちゃん、『お父さんのお母さん』って、すてきな言葉ね。誰かから教わったの?」
すると健一君は、サッカークラブのコーチから「お父さんとお母さんに感謝しなければいけないよ」という話を聞いたことを語り始めました。
「僕を生んでくれたのはお父さんとお母さんだけど、その先のおじいちゃんやおばあちゃん、それから、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんもいなかったら、僕は生まれてこなかったんだって。だから、お父さんを生んでくれたおばあちゃんに『母の日』のお花を買ったんだ」
少し誇らしそうに話す健一君。すると今度は恵さんが口火を切って、みんなで「おじいちゃんの思い出話」に花を咲かせます。
良雄さんは、子供たちの成長をうれしく思いつつ、自分自身も考えさせられたことがありました。
幼少期は病気がちだった自分を、たびたび病院に連れて行ってくれた両親の苦労。大きくなってからも、何かと心配をかけたこと……。自分自身も子供を持ってから気づき始めた「親の思い」を今、あらためてかみしめるのでした。

◆毎日を「親を思う日」に

夕食を終えると、デザートのケーキを出しながら、秀子さんがこんなことを言いました。
「恵ちゃんも健ちゃんもいい子に育ってくれて、おばあちゃんもうれしいわ。良雄の子供のころはよく熱を出す子で、心配したものだけど……。今はこうして家族みんなで元気な顔を見せてくれるから、安心だわ」
恵さんが秀子さんに尋ねます。
「おばあちゃんは、どんなことをしてもらったらうれしいの?」
「それは家族みんながいつも元気で笑顔だったら、それだけでうれしいよ。やっぱり、元気でいてくれることが一番だと思うわ」
靖子さんも言います。
「そうそう。家族が病気やけがでもしたら、心配で仕方がないからね。それに、恵と健一がけんかをせずに仲よく過ごしてくれたら、言うことなしよ」
「えー、いつも仲よくしているよ!」
きょうだいの声が重なります。そんな子供たちを見つめる良雄さんは、だんだん胸がいっぱいになってきました。

◆心からの 「ありがとう」

「母の日」などの機会に親へプレゼントを贈ったり、食事や旅行に招待したりする人も多いことでしょう。しかし「親への感謝の気持ち」とは、そうした形でしか表せないものなのでしょうか。
私たちは、誰もが親から「いのち」を与えられ、この世に生を受けました。その親にも「親」があり、そのまた親にも「親」があります。私たちの「いのち」は、先祖代々の「いのちのつながり」の中で、脈々と伝えられてきたものです。
しかし、人間が生きるということは、そうして与えられた「いのち」だけでは成り立ちません。生育の過程では、必ず「どうかこの子が元気に育ち、社会の中でしっかりと生きていくことができるように」と祈りつつ、養い育ててくれた人がいたはずです。その温かい「親心」を受けた結果、私たちの今があるのです。
「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」(『孝経』)というように、自分自身を大切にすることは、親孝行の第一歩です。何より忘れてはならないことは「親に安心を与える」という心がけです。親の心を思い、報告や相談をこまめにすることも、一つの方法といえますが、親がすでに亡くなっている場合などでも「親が安心するような生き方ができているかどうか」を日々、自分自身に問い、生き方を正していくことはできるのではないでしょうか。
私たちは、毎日を「親を思う日」として、感謝の気持ちを忘れずに過ごしたいものです。それは、自分自身がしっかりと人生を歩むうえでも大切なことであるのです。

(『ニューモラル』573号より)