学級だより~学校のちょっといい話~

「今まで、皆さんの親向けに学級通信を出していましたが、都合により続けられなくなりました。今日からは学級通信はありません。」
私が帰りの会で話したところ、子供たちから「エーッ。家の父や母は楽しみにしていたのに・・・。」という非難の声が上がりました。
「先生が出さないなら、私たちに出させてください。」

実は、数日前の学年会の折、「先生は学級通信を出さないでください。私たちは学級通信を書く暇がありません。先生の学級だけが出していると、私たちが怠けているように見えます。困ります。」と、学年主任はじめ、他の先生方から言われたのでした。私はまだ二年目教員で、十年先輩の先生方の学級経営や授業にはかないません。そこで、同僚の先生方に負けないくらい喜ばれる教師になりたくて彼らと同等に頑張れる一つの手段として学級通信の発行を始めたのでした。
また、「困ったときは学級の皆に相談しよう。学級皆で考えよう。」というのが、 学級の子供たちとの約束でもありました。子供たちからのこの声は、私にとって学級通信を発行し続けるヒントになりました。学級の様子を保護者に知っていただくのに、何も学級担任発行の通信に固執する理由はなかったのです。
「それでは、皆さんが学級の様子を知らせる『学級だより』を書いてくれませんか。そのとき、先生にも少し記事を書かせてもらってよいですか。」と私。
「いいよ。それでいこう。」と学級全員が歓びの声をあげました。
早速、どうすれば毎週『学級だより』を発行できるかの仕組みづくりの相談です。「学級だよりを書きたい人」と聞くと、十人の子供たちの手が挙がりました。「では、新聞作成係を今日からスタートしましょう。この後、係の人は残ってください。相談しましょう。」
帰りの会の後、一般の新聞を参考に毎週発行するための役割分担の話し合いをしました。漫画はIさんとTさん。記事は三つに分けて二人組で書く。印刷はJ君とM君、先生には社説の部分、という具合にてきぱきと分担が決まりました。
翌週の月曜日から作成開始です。問題は、ロウ原紙一枚に五つの記事を記載することが、
四日間でできるかでした。ガリ版と鉄筆と修正液を準備して各担当の原稿ができあがったところから、休憩時間、放課後を使ってガリきりをすることにしました。子供たちは張り切って漫画、原稿書きに取り組みました。担任が原稿の間違いをチェックしました。四日後、しわしわで穴だらけ、ところどころ茶色い水玉模様のある新聞原稿ができあがりました。最後に、子供たちが残してくれた空欄に学級通信を子供たちと共同で作成することになったいきさつを書きました。待ってくれていた皆で印刷室に向かいました。印刷係が謄写版で印刷したところ、うまくできあがりました。字の大きさや形が揃わず、絵も決して上手とは言えませんでしたが、自分たちで作り上げたことが嬉しくて、皆から喜びの歓声があがりました。
四年六組の『学級だより』は、年度末まで続きました。

(『学校のちょっといい話』より)