世界に贈る「日本の心」
多くの外国人旅行者が日本を訪れるようになった昨今。東京オリンピック・パラリンピックに向けて、異なる文化的背景を持つ人たちが快適に滞在できるような環境の整備は、着実に進んでいくことでしょう。しかし同時に
「日本って、どんな国?」
「日本を訪れる人たちは、日本のどんな点に魅力を感じているの?」
……そうした点に目を向け、一人ひとりの心の中に「日本人としての自覚」をはぐくんでいくことも、大切な「準備」ではないでしょうか。
■世界が驚く「ニッポンの道徳力」
異なる文化的背景を持つ人たちを迎え入れるうえでは、相手の文化を尊重し、互いに歩み寄ることや、変えるべき点を変えていくことも必要です。しかし、世界から日本を見ると「そのまま変わることなく、大切にしたほうがよい」という美点もたくさんあるようです。
それは外国人旅行者に人気の温泉や古都の風景、和食などの、目に見える形の「日本の伝統文化」ばかりではありません。
日本で約30年暮らしているハワイ出身のアメリカ人ルース・ジャーマンさんは、その著書『世界に輝くヤマトナデシコの底力』(モラロジー研究所)の中で、次のような体験を語っています。
ある朝、ルースさんは勤務先の事務所が入っているビルのエレベーターホールで1枚の張り紙に気づき、目を見張りました。
“現金の落とし物があります。心当たりのある方は管理人室まで”
「現金」というのがどれくらいの額なのかは分かりませんが、とにかく前の晩、誰かがエレベーターのボタンを押そうとしてポケットから手を出したとき、お金がこぼれ落ちたのでしょう。
次にその場へやってきた人は、周囲に人影も監視カメラもなかったとしても、落ちているお金を自分の懐に入れたりはせず、管理人室に持っていきます。
お金を預かることになる管理人も同様です。さらには“現金の落とし物”という貼り紙を見た人も、「これは私のもの」などという嘘の申し出をすることはありません。落とし主の手元へ無事に戻るまで、お金はきちんと管理人室で保管されるのでしょう。
ルースさんは、これを「海外で紹介すると、いつも驚かれる日本でのエピソード」であるとして、こう述べます。
「日本だと当たり前のこの『常識』は、海外ではほとんどあり得ないことです。こうした日本のすばらしいところは、不思議なことに、今、これだけ国際化が進んでいる中でも守られているのです。(中略)つまり、ここまで徹底して実践できる国はなかなかないとしても、『日本社会で守られてきたような道徳を好ましく思う気持ちは、全世界に共通する』ということではないでしょうか」
■「当たり前」を見つめ直す
「アメリカ人としての自分」を大切にしながら、日本での暮らしの中で見いだした「日本人が世界に誇れること」を広く紹介する活動を精力的に行っているルースさんは、次のようなことも述べています。
「他国の文化に接したとき、相手を尊重するのは大切なことですが、それは自分自身の中の大切な何かを抑えて相手に合わせるということではありません。グローバル化に際しては『受け入れてよいもの』だけでなく、『受け入れたくないもの』も『受け入れてはいけないもの』もあるでしょう」
ルースさんがこうしたことを訴えるのは、「当たり前」といえるほど無意識のうちにやっていることだからこそ、油断をすると、いつの間にかなくなってしまうこともあるのではないかと危惧するためです。
日本の先人たちが長い間、「当たり前」のように発揮してきた美しい心づかいや道徳的行為も、これを今、私たちがしっかりと見つめ直し、自覚を深めてこそ、確かな実践力を持って後世にも受け継いでいくことができるのではないでしょうか。
■「日本人の美点」を発揮する
「日本らしさ」を形づくるものとは、私たち日本人にとっては「当たり前」と感じられるほど小さな物事の一つ一つではないでしょうか。
衣食住をめぐる生活習慣をはじめ、物事の考え方や人との接し方、何より、そこに込められた温かい心づかい……。それらが国歌に歌われる「さざれ石」のように、無数の小さな石が集まって一つの大きな岩となるほどの長い年月をかけて「日本文化」を形づくり、今、外国から訪れる人々の目にも「ニッポンの魅力」として映っているのです。
それらを築き上げたのは、数限りない日本の先人たちであり、その誠実さと勤勉さの賜物でしょう。私たちは先人に対して感謝しつつ、この心を後世へと大切に守り伝えていきたいものです。さまざまな文化が共生する国際社会において、日本人の美点である道徳力を発揮していくことは、世界の安心と平和にもつながるのではないでしょうか。
(『ニューモラル』554号より)