「思い込み」から「思いやり」へ
“あの人は、なぜ~してくれないんだろう”
“自分はこうだと思うのに……”
誰かの言動に接して、こんな不満を抱いたことはないでしょうか。そんなとき、冷静に振り返ってみると“こうあるべき”という自分自身の思い込みがイライラの原因になっていることも、意外に多いようです。自分も他人も気持ちよく過ごしていくために、この「思い込み」から抜け出す方法を考えてみませんか。
■イライラの原因は「自分勝手な思い込み」?
例えば、先を急いでいるのに自分の行く手をふさぐようにゆっくりと歩く人がいたり、人込みにはまったりして、思うように動けないとき。その不満をそのまま口に出したり目の前の人を押しのけたりはしなくても、内心“邪魔だな”とイライラすることもあるのではないでしょうか。
しかし多くの場合、その相手にこちらの邪魔をする意図はなく、ただ「普通に道を歩いているだけ」なのでしょう。
また、友だちと連絡を取りたいと思ったとき。メールやラインの返信がすぐに来なくて、やきもきすることもあるでしょう。
これにも、相手は相手で事情があるもの。何か急ぎの用事の最中だったりしてすぐには返信できないことも、当然あるはずです。
私たちは「自分の思うようになっていない他人の言動」に接したとき、相手の事情にまで思いをめぐらす余裕もなく、一方的にイライラを募らせることがあります。しかし、その“当然こうあるべきだ”という思いは、自分一人の勝手な「思い込み」でしかないのかもしれません。
■無財の七施
人間は「誰とも関わり合うことなく一人で生きる」ということはできません。普通に暮らしていても多くの人と接するものでしょうし、そもそも私たちの生活は、直接顔を合わせることのない人も含めて、さまざまな人の働きのうえに成り立っています。そこでお互いに気持ちよく暮らしていくためには、温かい思いやりの心が不可欠でしょう。
思いやりの心とは、自分自身の心がけ一つで、いつでも、どこでも、誰にでも発揮できるものです。その手がかりとして『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』という仏教の経典の中に「無財の七施(むざいのしちせ)」という教えがあります。ここには、財産がなくても他人に施しを与えることができる七つの方法が示されています。
1.眼施(がんせ)
好ましいまなざしをもって他人を見ること。
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)
にこやかな和らいだ顔を他人に示すこと。
3.言辞施(ごんじせ)
他人に対して優しい言葉をかけること。
4.身施(しんせ)
他人に対して身をもって尊敬の態度を示すこと。
5.心施(しんせ)
よい心をもって他人と和し、よいことをしようと努めること。
6.床座施(しょうざせ)
他人のために座席を設けて座らせること。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
他人を家に迎え、泊まらせること。
(参考=中村元著『広説佛教語大辞典』東京書籍)
この教えに見るように、思いやりの心を発揮する方法とは、必ずしも特別なことだけではありません。人は日常のささやかな行いによって、周囲に喜びの種をまくことができるのではないでしょうか。
■周囲に向ける「心」を見つめる
勝手な思い込みによって不平や不満を抱いたり、他人を責めたりすれば、人間関係が損なわれ、自分にも相手にもますます大きな不快感をもたらす結果になりかねません。反対に、思いやりの心を向けることで相手に喜んでもらえたなら、自分自身も喜びを得ることができます。
「ありがとうございます」
「ごめんなさい」
「失礼します」
「お先にどうぞ」……
相手に配慮する言葉、心が温かくなる言葉は、ほかにもたくさんあるでしょう。まずは身近な人に対するそうした言葉がけや、柔らかな表情・態度をもって、思いやりの心を表していきたいものです。
優しく温かい心で他人の幸せを願い、他人のために喜びをもって尽くす人の周囲には、よい人間関係が築かれていきます。すると、そうした人たちに囲まれた自分自身もまた、幸福感を味わうことができるのではないでしょうか。
(『ニューモラル』560号より)