「勇気」と「実行」の間

「よいこと」と分かっていても、実際の行動には移せなかった――そんな経験はありませんか?例えば、街で困っている人を見かけたとき。“手助けしたほうがいいのかな?”と思いながらも、知らない人に声をかける気恥ずかしさや“もし断られたら……”という不安、“自分が声をかけなくても、ほかの誰かが助けるだろう”という気持ちが先に立って、一歩を踏み出せないこともあるでしょう。「よい」と思ったことを実際の行動に移すには、何が必要なのでしょうか。

■譲る? 譲らない? 電車の座席

ある日曜日、大学2年生のKさんが、友人のYさんと一緒に買い物に出かけたときのことです。目的地へと向かう電車の中は、休日ということもあり、やや混雑していました。しかし途中の駅で大勢の人が降りると目の前の座席が空いたため、二人はそこに並んで座りました。

途中の駅で停車したとき、Kさんが座っている席より少し離れたところにあるドアから、杖をついた高齢の女性が乗り込んでくるのが見えました。すると隣に座っていたYさんがさっと立ち上がってその女性に歩み寄り、声をかけたのです。

「よかったら、あちらに座ってください」

「まあ、ご親切に。どうもありがとう」

Yさんに案内された女性は、笑顔で席に着きました。Kさんは、Yさんの自然でさわやかなふるまいに感心しました。一方では、お年寄りが乗車してきたことに気づいていながら、Yさんのように動けなかった自分に引け目も感じていたのです。

■「一歩」を踏み出す勇気

Kさんが行動を起こすことをためらったのには、理由がありました。

以前、高齢の男性に席を譲ろうとしたところ、語気も荒く断られた経験があったのです。Kさんとしては善意から、勇気を振り絞って声をかけたのに……。それ以来、Kさんは同じような場面に居合わせても“また断られるかも……”という不安が胸をかすめるようになり、一歩を踏み出すことができなくなっていたのです。

Kさんのような経験、覚えがある人も多いのではないでしょうか。

“わざわざ声をかけて、断られたら気まずいし……”

“「自分はそんな年齢ではない」と言って、怒られたらどうしよう”

“席を立ってまで声をかけに行かなくても、ほかの誰かが譲るだろう”

そんな不安や緊張、あるいは人任せにする気持ちが胸をよぎると足がすくみ、せっかく心の中に芽生えた「他の人を思いやる気持ち」も実際の行動に移せなくなってしまうのです。

■「思いやりの心」を行動に移すために

「思いやり」を行動に移すためには、ひと言でいえば勇気が必要です。ところが「分かってはいるけれど、なかなか行動に移せない」という悩みを持つ人も少なくないでしょう。勇気を実行に移すまでの間には、少しステップが必要なようです。

「電車の中で座席を譲る」という例では、まずは「自分の善意と実践を見守ってくれる身近な人」が一緒のときに実行を試みるのもよいでしょう。同じ思いを分かち合える仲間と一緒なら、声をかける勇気も持ちやすく、万一断られたとしても、励まし合うことができるのではないでしょうか。そうした経験を何度も積み重ねるうちに、心のハードルは徐々に低くなり、いつしか一人でも、その場に応じたふるまいが自然とできるようになるかもしれません。

「緊急時の人助け」にも、もちろん勇気は必要です。一人では尻込みしてしまいそうな場面でも、周囲の人の理解や協力があれば、実行へのハードルは低くなるものです。また、緊急時であればなおのこと、安全の確保や、独りよがりの行動で混乱を招かないためにも、周囲との協力は不可欠でしょう。

その他のボランティア等でも、「関心はあるもののなかなか一歩を踏み出せない」という場合は、まずは周囲に経験者がいないか探したり、同じような思いを抱いている友人を誘ってみたりすることで、参加しやすくなるのではないでしょうか。そうして善意の輪が広がっていくことは、私たちを取りまく社会がよりよくなっていくことにもつながります。

勇気ある思いやりの実行は、その行為の結果を受け取る相手だけでなく、行った本人にも大きな喜びをもたらしてくれます。その喜びが、私たちをさらなる実行へと向かわせるのです。

(『ニューモラル』563号より)